太平洋戦争の激戦地 硫黄島で3年ぶり追悼式「父を奪った戦争を恨んだ」
今月19日。太平洋戦争の激戦地のひとつ、東京・小笠原村の硫黄島で3年ぶりに追悼式が行われました。
東京から南へおよそ1250キロ。太平洋に浮かぶ硫黄島では、太平洋戦争の末期に1か月以上も激戦が続き、日本軍はほぼ全滅し、およそ2万2000人が、アメリカ軍もおよそ7000人が亡くなりました。
戦後、自衛隊の航空基地が設置され、立ち入りが制限されているこの島で、追悼式が行われました。
父が硫黄島で戦死した松丸留美さん(82)
「一度も父の顔を見ることも、一緒に暮らすこともできなかった私にとって、幼いころ父親のいるにぎやかな家庭をうらやましく思い、父を奪った戦争を恨んだことも幾度となくありました。悲惨な戦争を繰り返してはならない」
遺族らは、けがや病気の兵士が多く収容された地下壕(ごう)へ。地熱による暑さで奧までは進めません。
遺族「すごい暑さ。こんなところに病人がいたら…。いられない、いられない。病人が…」
そして多くの兵士が命を落とし、アメリカ軍が星条旗を掲げた摺鉢山へ。
祖父が硫黄島で戦死した本間奈生美さん(48)
「こんな暑いところにいたのかなと考えると、改めてこの地に来ると胸が痛む思いです。世界に目を向けるとウクライナの問題もあったり、決して戦争はやってはいけないことなんだな」