沖縄本土復帰50周年“海を渡ったSL”鉄道マンの思い
沖縄はアメリカの施政下から日本に復帰して今月15日で50年を迎えます。当時、鉄道のない沖縄へ。海を渡ったSLがあります。そこには鉄道マンのある思いが託されていました。
沖縄県那覇市の公園にたたずむ1台のSL。このSLに秘められた歴史を語り継ぐイベントが行われました。
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「本土からプレゼントされたのが与儀公園に置かれているD51」
D51型、愛称「デゴイチ」。全国で活躍した蒸気機関車です。海を越え、沖縄に渡ったワケとは――。
沖縄は戦後、日本から切り離されアメリカの占領が続きました。日本に復帰した1972年。北九州市の国鉄職員たちが呼びかけ、沖縄の小学生72人を夏休みに招待したのです。
「沖縄が日本に帰ってきます。26年の長い歳月は、沖縄の人々には忍耐の連続であったことでしょう」「何等沖縄の人々に為すすべを知らない私達はささやかなことではありますが沖縄の子供を夏やすみに我が家に招いて一緒に生活し、我が子にも視野をひろげさせ友情を生み出させたいと思います」
当時北九州に招待された城間悟さん「(沖縄から)船で鹿児島から鉄道で行って、すべて初めての体験で、ワクワクしながら里親に受け入れてもらいました」
子どもたちを受け入れた家族は当時の思いをこうふり返ります。
沖縄の子どもを受け入れた片山栄子さん「あの戦争の時にはすごく沖縄が犠牲になってますでしょ。“償い”といえば大きい話になりますけど、そういう気持ちがあったんじゃないか」
1週間の滞在中、プロ野球や動物園などを楽しんだ子どもたち。中でもとりわけ目を輝かせた場所がありました。それは、SLがずらりと並んだ門司機関区です。
実は沖縄には戦前、鉄道が走り、県民に親しまれていました。しかし、20万人以上の命を奪ったあの沖縄戦は鉄道も破壊し尽くしました。沖縄の子どもたちはSLはもちろん、鉄道さえ見たことがなかったのです。
北九州に招待された大城武さん「SLが何台も止まっていて「えー」という感じ。絵本の中の世界が本当なんだと、『なにこれ』『沖縄で見たことない』『こんなに大きいの?』というのがあって、ボクらは初めてだらけの中で発した言葉が『これ欲しいね!』『欲しいんじゃない』」
国鉄職員たちは沖縄にSLを贈り届けようと新たな活動を始めました。費用は1000万円以上。カンパを呼びかけると全国の国鉄職員だけでなく一般の人からも善意が寄せられました。
そして選ばれたのは九州を34年間走り回ったD51 222号機。「SLが来る!」その知らせは沖縄にも――。
北九州に招待された大城武さん「『欲しいな!』と言っていたのがホントに来るの?と素直な驚きで」
デゴイチは鹿児島で船に積まれ、海を渡りました。そして、あれから7か月。デゴイチ、お披露目の日。北九州へ渡った小学生たちも招待されました。
北九州に招待された大城武さん「煙もシュッシュッポッポと出ていたので、『あ!本物来ているよ』と大きな感動」
28年の時を経て、SLの汽笛が沖縄の空に再び響き渡りました。
「私はD51222と申します 沖縄のみなさん仲良くして下さい」
あのデゴイチの前に集まった当時の子どもたちはいま――。
北九州に招待された大城武さん「(当時の人は)沖縄をこんなに思って下さったんだなと、ありがたいです」
北九州に招待された城間えり子さん「D51を下さったという気持ちを私たち当時の子どもたちは、後世の子どもたちに伝えていかなければいけない」
50年前の鉄道マンの思いは、いまも沖縄で走り続けています。