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【頂上作戦から10年】工藤会の元組員が語る“当時”と“その後” 北九州市の街は今 4つの市民襲撃事件は最高裁へ

2024年9月11日 19:12
【頂上作戦から10年】工藤会の元組員が語る“当時”と“その後” 北九州市の街は今 4つの市民襲撃事件は最高裁へ
頂上作戦から10年 元組員が語る工藤会と今

全国唯一の特定危険指定暴力団、工藤会の壊滅を目指して最高幹部らを次々と逮捕した、福岡県警による頂上作戦の着手から11日で10年です。元組員は工藤会の組織についてどのように見ていたのか。頂上作戦を機に、大幅に組員が減った北九州の街の変化とは。

■工藤会・元組員(50代)
「(野村総裁は)いわゆる、神みたいなもんですよね。ヤクザになると、親分が言うのは黒でも白と言われりゃ白って言われるぐらいなんで。結局、親分たちの親分になるんで。自分たちからしたら遠い存在。」

組織のトップについて“神”と語ったのは、およそ13年間、工藤会に所属していた50代の元組員です。野村悟総裁率いる工藤会。その拠点となる北九州市は当時、暴力団の恐怖に包まれていました。

■記者
「現場は騒然としています。事件があったのは小倉の繁華街のビル1階、火炎瓶のようなものが投げ込まれました。」
「事件があったのは静かな住宅街です。狙われたのは、地域の暴力団追放運動のリーダーの自宅でした。」

民間人が被害者となる凶悪事件が多発し、警察は2012年、工藤会を全国で唯一の特定危険指定暴力団に指定しました。

■元組員
「(警察と工藤会が)あんだけ敵対しとるって言われて。本部にガサ(家宅捜索)が入ったりする時は本部から組に通達が入って、組から組員全員に電話が入ってくる。行ける人は行ってくださいと。捜査員が30人来ていたら1人に1人、2人つけるぐらいの人数をバタバタ集めて。」

長年、緊張関係が続いた中、転機は10年前に訪れました。2014年9月11日です。

■記者
「捜査員たちが続々と工藤会最高幹部の家に入っていきます。捜査員たちが中に入って30分後、最高幹部を乗せたとみられる車が外に出てきました。」

福岡県警は、工藤会トップの野村総裁らを殺人事件に関与した疑いで逮捕しました。これが、警察の威信をかけて工藤会の壊滅を目指す頂上作戦の始まりでした。

1998年の元漁協組合長射殺事件、2012年の福岡県警元警部銃撃事件、2013年の看護師切りつけ事件、2014年の歯科医師刺傷事件。市民を狙った4つの襲撃事件に関わったとして、殺人などの罪に問われた野村被告。2021年の1審判決では「死刑」が言い渡されました。

「生涯、後悔するよ」

■工藤会 総裁・野村悟被告
「生涯、後悔するよ。」

判決後、野村被告はそう裁判長に言い残していました。

ことし3月の控訴審判決で福岡高裁は、1審の野村被告に対する死刑判決を破棄し「無期懲役」を言い渡しました。その後、検察と野村被告の双方が上告し、舞台は最高裁へと移されることになります。

■家宅捜索
「なんしようか、コラ、逮捕せい、逮捕、逮捕、逮捕せい。」

これまで幾度となく警察の捜索を受けてきた本部事務所。2019年に解体されました。

■記者
「工藤会館と書かれた看板が今、取り外されました。」

跡地では福祉施設の建設に向け、準備が進められています。

さらに、工藤会の最大組織で野村被告の出身母体である田中組の本部事務所も更地になりました。そして、歓楽街にある事務所も撤去され、今は駐車場となっています。

■福岡県警本部長(当時)
「工藤会の構成員、準構成員も一人の人間として大きな岐路に立っているはずです。今が生まれ変わり、人生をやり直すチャンスです。」

2008年のピーク時、1210人にのぼった工藤会の構成員・準構成員は、去年末時点で240人となり、5分の1に減少しました。今回、私たちが取材した元組員も、頂上作戦が始まったのち、工藤会を離脱したといいます。

■元組員
「統制しとる人がいなくなると不安に思う人もいっぱいおったやろうし、今後どうなるかっていう見通しも立たない。どんどん、みんなの絆も緩んでいったっていうか。みかじめだけで食べていた人も中にはおるとは思うんですけど。 そういった人たちにとっては収入がないとヤクザやっていけん。じゃあ普通に仕事しようという流れですよね。」

“修羅の国”と揶揄(やゆ)されてきた北九州の街にも変化がありました。頂上作戦の着手後、北九州市の刑法犯の認知件数は、ほぼ半減しています。一方で、北九州市の企業誘致は増加傾向で、去年は過去最高を更新しました。

■北九州市・武内市長(10日)
「暴力団に屈しないという強い思い。北九州市の治安情勢は劇的に改善し、安全安心な街へと変貌を遂げました。」

「通帳がない生活」

ただ、暴力団排除が進むがゆえ、更生の道を歩み始めた元組員たちは“苦難”にも直面しています。

■元組員
「辞めたって何もかもうまくいくわけでもないし、辞めて5年間、通帳ない生活って普通考えたら、ちょっと厳しいじゃないですか。俺たちは歓迎されてないんやろうなと思いますよね。」

金融機関が独自に定める暴力団排除条項により、離脱後も5年間は組員とみなす場合があり、口座の開設を断わられることもあるといいます。離脱後に飲食業を営むこの男性は、5年以上がたっても銀行口座が作れませんでした。

■元組員
「自分がまいた種を自分で刈らないといけない。仕方ない部分もあるけれど。面接行ったら落とされる。警察関係の紹介で来た話とか、めちゃめちゃ日当が安いとか、そんなんじゃ生活していけない。辞めたヤクザのところにまた行ったりとか、そこでまた組んだりとかね、そういうふうになってしまいますよね。」

離脱後も暴力団との関係を続ける人もいるといいます。まだ道半ばの“暴力団の壊滅”。頂上作戦の着手から10年となった今も模索が続いています。

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