心臓の持病を乗り越えてインターハイに出場! 「走ることが大好き」な高校生の強さのヒミツとは!?【アナたにプレゼン・テレビ派】
広島テレビのアナウンサーが、気になるテーマを自ら取材して、お伝えする『アナたにプレゼン』。有田優理香アナウンサーが、困難を乗り越えてインターハイ出場の夢をつかんだ陸上部の高校生をプレゼンします。
インターハイは『全国高校総合体育大会』の通称で、高校生のスポーツの祭典で運動系の部活動をしている高校生にとっては、大きな目標のひとつです。
今回は、インターハイに出場した陸上部の高校生を紹介します。広島国際学院高校3年の竹中隼人選手です。2024年のインターハイに、400mハードルで出場しました。この種目を始めて9ヶ月余りですが、予選で自己ベストを更新して、準決勝に進出しました。竹中選手にインターハイの舞台立った時の気持ちを聞いてみました。
■広島国際学院高校3年 竹中隼人選手
「みんなに感謝する気持ちが芽生えた。一緒に走った3年生の友達とか、色々教えてくれた先輩とか、先生とかがずっと頭に浮かんで、ありがとうって走りました。」
竹中選手は、専門の400mハードルに加えて、2024年は400mリレー、そして1600mリレーにも出場しました。竹中選手の陸上人生を振り返りながら、強さのヒミツに迫ります。
竹中選手が陸上を始めたのは、小学4年生の時です。元々はサッカー少年で、快速ドリブラーとして活躍するほど、とにかく走ることが大好きだったそうです。陸上一筋となってから、ハードル走や100mに取り組むなど、走る種目のとりこになりました。
しかし、竹中選手には大好きな陸上を続ける上で大きな壁がありました。それが、生まれつきの心臓の持病『バルサルバ洞動脈瘤』です。この病気は、心臓から全身へ血液を送り出す大動脈の根元(バルサルバ洞)にできた血管のコブが、徐々に腫れていくものです。動脈瘤が破れなければ、基本的に症状は出ませんが、破れて出血した場合、呼吸困難や胸に激痛が走るということです。竹中選手は、中学2年生の定期健診で「悪化しているので、走ってはいけない」と医師に宣告をされました。竹中選手は当時「もう陸上ができないかもしれない。走れないんだったら何のために学校に行くんだろう…」と絶望で泣いた記憶があるそうです。そして、中学3年の夏休みに開胸手術を受けました。
およそ半年間走ることができませんでしたが、竹中選手は前向きに捉えていました。手術を終えた後「他の人ができない経験ができたので、もう捨てるものがないというか、何事も全力で楽しく取り組めるようになった。」と振り返っています。
竹中選手に陸上をやめる選択肢はなく、今の状況で「どうしたら陸上ができるか」を考えて、走り高跳びに転向しました。理由は、走る種目よりも体にかかる負担が少ないからです。大好きな陸上競技に復帰して、努力を続けた結果、2023年に走り高跳びでインターハイに出場しました。
しかし、竹中選手の挑戦はこれで終わりませんでした。高校最後は、走る競技でインターハイに出たいと、高校2年生の10月に医師の許可をもらい、400mハードルを始めました。きっかけは、先輩が400mハードルを走る姿を見て「楽しそう」と心をかき立てられたことです。400mハードルは「究極の無酸素運動」と呼ばれるほど、陸上競技の中で過酷な競技と言われています。その競技で、見事インターハイ出場を決めました。
困難を乗り越えて掴んだインターハイについて、竹中選手に聞きました。
■広島国際学院高校3年 竹中隼人選手
「これが最後になってもいいように、何事も楽しくやりたかったし、やっぱり走ってインターハイに行くって、結構自分の中でかっこいいことだと思ってたんで。(走る競技で全国大会に出場して)とても嬉しい。めちゃくちゃ嬉しかったし、ここまで頑張ってきてよかったなって思います。」
「陸上が大好き」という気持ちが挑戦のモチベーションとなり、マイナス思考になりそうな時も、前向きに捉えて競技に向きあうことが、竹中選手の強さのヒミツです。
竹中選手は、これからも陸上競技を続けていきます。「最後まで何が起こるか分からないのが、この400mハードルの面白さ。みんなの心の支えになれるようなハードラーになりたい。」と話していました。今後も定期健診を受けながら「自分と向き合いながら、上を目指して競技に取り組んでいきたい」ということです。竹中選手の挑戦に今後も注目です。