【折り鶴プロジェクト】元教員の被爆者・梶矢文昭さん
広島テレビの被爆80年に向けた取り組み「ネバーアゲイン・折り鶴プロジェクト」です。元教員の被爆者の思いを紹介します。
広島市内に住む被爆者の梶矢文昭さんです。かつて教員を務め、いまは被爆体験を絵に描き、語り続けています。
■梶矢文昭さん
「(姉が)死んだときに少し微笑んでいた。笑顔で死んでいた。これが謎で謎で心に残っての」
5人兄弟の末っ子として生まれた梶矢さん。2歳年上の姉・文子さんを原爆で亡くしました。梶矢さんがずっと大切にしてきたのが、被爆前の兄姉をおさめた唯一の写真です。それをカラー化し、梶矢さんの「記憶の色」がよみがえりました。
■梶矢さん
「うわっ!うわっ!すごい。いや~素晴らしいの。」
「正月にお互い精いっぱい着飾って写った一枚の写真」
「姉は優しかったのを思い出すのお」
「生き返ったような感じ」
11月。梶矢さんはかつて勤務していた小学校の児童たちに被爆体験を語りました。
■梶矢さん
「ただ死んでいるときの(姉の)顔が少し微笑んでいたように私には見えた。一生懸命生きたんだなと」
■児童
「わたしが知らなかったことがあってとても辛かったり大変だったと思うが、そのことで伝えてくれているから私たちも伝えていきたい」
当時、子どもたちが教え合いながら折っていたという折り鶴。
■梶矢さん
「(折り鶴を)作る過程で気持ちや心が動く。いいことじゃ。(折り鶴を折るのが)簡単じゃないことがいいことかもしれない」
「平和は、言葉で言うほど簡単ではない。千羽鶴を折りながら(平和の想いが)湧いてくるいいことだと思う」
梶矢さんが折り鶴に込めたメッセージ。
■梶矢さん
「繰り返し、繰り返し、繰り返し言い続けなければならない。広島と長崎で終わり三度目は絶対に許してはいけない」
「ネバーアゲインつなぐヒロシマ」
《2024年11月29日放送》