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過疎と原発と 能登半島地震から考える"ふるさとの亀裂"

2024年5月30日 19:32
過疎と原発と 能登半島地震から考える"ふるさとの亀裂"
元日の能登半島地震による地域への影響について考えます。

取材している数家解説員です。

数家解説委員
地震の被害は、震源地に近い志賀原子力発電所にも及び、住民の避難など様々な課題が浮き彫りになりました。原発の安全性について問う声が改めて高まる中、かつて原発の建設が計画された石川県珠洲市で暮らす人たちは今何を思うのか、現地で取材しました。

数家 現地リポ
「富山市内を出発しておよそ3時間です。珠洲市に入ってきました。奥能登です。道路はあちこち舗装が割れていますし、それから倒壊している家屋も目立つようになってきました。中には全壊している住宅もあります。見附島が見えるところです。これまで私も何度もこの見附島には来ていますが、通称、軍艦島と言って巨大な岩の塊があったんですが、崩れ落ちていますね、やせ細った感じに見えます」

元日の能登半島を襲った大地震。

震源地となった珠洲市では犠牲者は110人を超えました。

住宅はおよそ3割が全壊し、発生から4か月が経ってもおよそ半数で断水しています。

陶器店を営んでいた女性
「家が目の前で倒壊してしまいまして、ちょっとまだ何も考えられないというか、思い出してもう涙が出てくるという感じですかね」

この珠洲市では、今から半世紀近く前、住民に深い亀裂を生んだ大きな計画が持ち込まれました。

資料映像から
「原発反対!原発反対!・・・やったれー、やったれー!」
「あなたは街を殺そうとしているんですよ、分からないんですか!お願いですから止めてください。街が死んでしまいます、お願いします!」

北陸電力が調整役となり、関西電力と中部電力が珠洲市の2か所に原子力発電所2基を建設する計画でした。

過疎が進んでいた地域に持ち込まれた計画は推進と反対、住民を分断する激しい対立を生みました。

しかし、計画浮上から28年が経った2003年。

北陸電力 新木富士雄社長(当時)
「この計画は非常に厳しいという判断で、凍結ということで3社、意見を一致しました。現段階での先行き見通しは、ございません」

バブル崩壊による景気低迷や根強い反対運動。事実上の断念でした。

それから20年、元日に能登半島地震が発生した珠洲市は、今・・・。

数家 現地リポ
「海までの距離はおよそ100メートルです。1階部分だけ空洞になっているような、そんな住宅もあります。これは津波が襲ってきた証拠だと思います」

原発の建設予定地だった漁港は、壊滅的な被害を受けていました。

当時反対していた男性に漁港内を案内してもらうと。

数家
「足元は貝殻がありますね」

反対派の男性
「ここ降りてみると、ほんとに僕の身長と比べると」

数家
「そうですね。防波堤が隆起しているんですが、やはり2mくらいは隆起したんですね」

反対派の女性
「でも、原発止まってよかったね、これ。原発あったら今頃みんな死んどるよね、本当に。止まっとってよかったわ。私ら、まず、あぁ原発止まっとってよかったって、みんな口々に言うとるわ。ほんとにひどい」

過去の反対運動の様子
かつて原発の立地を巡って住民の間に生まれた心の亀裂。

そして今、地震によって生まれた大地の亀裂。

推進派の男性
「今原発があったら、まだ工事中だと思うし、復興はまだまだ早いと思う。電力会社も力を入れてやっとる。やっぱり俺はそういうのはあると思う。こないだテレビで言ったぞ。国の方は過疎化するところに投資はしないしと言ったけど、お金は出さないと言った。それは正直なところやろうなと思うわ」

過疎に追い打ちをかけるのか。地震で揺れた半島に生きる人々の心も大きく揺れ動いています。

上野キャスター
実際に現地で取材して、どんなことを感じましたか?

数家解説委員
とにかく甚大な被害で、目に見える復旧・復興は倒壊した建物を解体してからでないと始まらないと感じました。

このあとKNBラジオでは、午後9時からラジオ特別番組「ふるさとの亀裂~地震と過疎と原発と」を放送します。

かつて原発計画に翻ろうされ、そして今、地震被害に翻弄されている人たちが何を考えているのか知ってほしいと思います。
北日本放送のニュース