富山大空襲の資料常設展示を 語り継ぐ会が新潟県長岡市の資料館視察
およそ3000人が犠牲となった富山大空襲から2024年で79年です。
県内で空襲に関する資料を常時展示する施設の設置を目指す富山市の市民団体が8月、同じく79年前に空襲を受けた新潟県長岡市の資料館を訪ね戦争の記憶を語り継ぐことへの思いを新たにしました。
8月17日、新潟県長岡市の長岡戦災資料館に市民団体「富山大空襲を語り継ぐ会」のメンバーらの姿がありました。
1945年8月1日の夜遅く、アメリカ軍の爆撃機が焼夷弾を投下。市街地の8割が焼失し、およそ1500人が犠牲になりました。
空襲を語り継ぐため、市は2003年に資料館を開設し、太平洋戦争下の生活用品や焼夷弾の実物などおよそ250点を展示しています。
富山大空襲を語り継ぐ会 高安昌敏幹事
「長岡の人たちの思いと、それ(資料館)を運営する熱意をね、皆さん富山の人にも知ってもらいたかったということです。我々もこれから参考にして進んでいきます」
県内で空襲に関する資料を保存し展示する施設の開設を目指している語り継ぐ会。
資料館では、市民団体などからの要望や市議会での議論を経て開設されたことや犠牲者の遺影を収集する活動をしていることなどについて説明を受けました。
富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代幹事
「資料が市民の方からどのような感じで集まってくるか」
長岡戦災資料館 近藤信行館長
「市の広報を使ったりとか、あるいはSNSを使って紹介しておりまして、一度にたくさんくるっていうわけじゃないですけども、そういうのを見て遺影をもってきたとか、こういった品物はどうだろうかっていうのを持ってこられますので、それを見させていただいて、可能であればお預かりさせていただいている」
会で幹事を務める西田亜希代さんは父と娘の七虹さんと親子3代で語り部として活動しています。
西田七虹さん
「資料館があれば、修学旅行や校外学習とかで、こういう資料館に足を運ぶきっかけにもなると思うので、そういうときに若い世代に知ってもらうのが大事なんじゃないかと思います」
1945年8月2日未明にアメリカ軍の爆撃機が富山市中心部を襲った富山大空襲では、市街地の99.5パーセントが焼失し、およそ3000人が命を奪われました。
一方、県内には、空襲に関する資料を常設で展示している場所はありません。
富山市は、時間と場所を問わず見てもらえるよう2020年度から市のホームページでこれまでに寄せられた遺品などを掲載しています。
語り継ぐ会は、およそ20年前から市に対し展示施設の設置を求めていますが、市は「集まった資料が少ないため」などとして、現時点では施設の設置を考えていないとしています。
富山大空襲を語り継ぐ会 高安昌敏幹事
「資料保存をまず第一に考えて行政に働きかけていきたいなと。それと市民の方の意識。少しでも高まってくれればありがたいなと思ってます。我々の先祖全てが筆舌に尽くせない苦労を味わって現在の富山があるということを頭に置いて、これから子どもたちに苦しみ悲しみを味合わせない平和への強い決意が必要かなと思います」
語り継ぐ会は資料の保管や展示のための施設開設に向けて、年度内に3000人を目標に署名を集め、市や県に要望したいとしています。