受け継がれる名橋・錦帯橋 創建350年を祝いさまざまなイベントが…
国の名勝・錦帯橋の創建350年を祝うイベントが1日、岩国市で開かれました。
架け替えを繰り返しながら、ほとんどその形を変えることなく錦帯橋は受け継がれています。
錦帯橋は1673年に岩国藩主の吉川広嘉が架け、ことし、創建350年の節目を迎えました。
岩国市は1日、市民参加型の記念イベントを開き、およそ400人が錦帯橋の上で、「祝350年」などと人文字を作りました。
また吉川家の第32代の当主らを迎えて記念の式典も開かれました。
(岩国市 福田良彦市長 )
「この世界に誇れる橋を次の50年、100年に向けて繋いでいく決意を改めてここに表明する」
(吉川重幹当主)
「藩政時代は岩国藩でやっていたが、明治以降は市民の皆様が155年間色々な形で橋を守ってこられた。ものすごく感謝している。そういう気持ちがあったから(錦帯橋が)残ってきたのでは」
官民を挙げて世界文化遺産への登録を目指している錦帯橋。
岩国市議会や市内の文化・経済団体などは錦帯橋が完成した日として有力な「10月1日」を「錦帯橋の日」と制定することを決めています。
錦帯橋の創建前から現在に至るまでの資料が、10月22日まで、岩国徴古館で特別に展示されています。
錦帯橋が架かる前の岩国藩の記録「御用所日記」には、洪水により、家臣が錦川を渡れず、当番に出ることができなかったと記録されています。
流されない橋を模索する岩国藩主・吉川広嘉が着目したのは、島と島の間にアーチ橋が架かる中国・明の湖を描いた絵画。
島を石積みの橋脚に見立て、その間にアーチを架ける発想が生まれたとされています。
岩国徴古館には1760年の架け替えの際に描かれた図面も収められています。
錦帯橋は完成の翌年に流失したものの、すぐに再建され、それ以降は架け替えを繰り返しながら1950年のキジア台風まで276年もの間、流されることはありませんでした。
(岩国徴古館 松岡智訓副館長)
「橋は基本的に架け替えるたびに材料や構造が変わるリスクがあるなかで、錦帯橋が350年続いているのは素晴らしい。かなり全国的に見ても稀なことだと思う。貴重な文化財が残っているのはこれまでの方々の努力は凄かったと思う」
岩国青年会議所は、50年前に制作したタイムカプセルを開封しました。
収められていたのは、「錦帯橋300年祭」のポスターなど20点。
青年会議所は今回の資料などを新たに追加し、50年後の創建400年まで再びタイムカプセルを封印する予定です。
(50年前にカプセル封入 西村栄時さん)
「あの当時(50年前)は話題にも上っていなかった世界文化遺産(登録)が間近に迫っている感じもするので今の熱い市民の思いを50年伝えることができれば」
岩国市の発表によりますとイベントには7000人が訪れ、節目を迎えた錦帯橋に思いを馳せていました。