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【解説】能登駅伝でつなぐ復興へのタスキ 野口さんの目からウロコ

2025年1月7日 19:47
【解説】能登駅伝でつなぐ復興へのタスキ 野口さんの目からウロコ

越崎 成人 キャスター:
北國新聞論説委員の野口強さんです。ことしもよろしくお願いします。きょうのテーマは…

北國新聞論説委員・野口 強 さん:
「能登駅伝でつなぐ復興へのタスキ」です。

越崎:
駅伝と言えば、箱根。盛り上がりましたね、お正月。

野口さん:
ことしも上り下りのデッドヒートにくぎ付けになった方もいると思います。

越崎:
青山学院大学が強すぎましたね。

野口さん:
そうですね。見始めるとずっと見てしまって、選手と一緒になって息が切れたりしました。
実は、半世紀以上前、箱根にも勝ると劣らない過酷な駅伝が能登全域で開かれていました。それが、こちら。

野口さん:
金沢星稜大の学長の大久保英哲先生らの研究によりますと、元々、第1回は能登半島が国定公園に指定されたのを記念して、1968年の11月末に開かれました。

越崎:
で、そのルートがあるんですが…

野口さん:
赤い線がコースになります。初回は富山の高岡をスタートして半島の海岸線を回りましてゴールが七尾でした。第3回からは更にコースが伸びて、金沢がゴールになりました。

越崎:
信じられない距離ですね。

野口さん:
きっちりまわりますよね、海岸線を。

越崎:
箱根との比較があるんですが、箱根駅伝は正月2日間で217.1キロ、能登駅伝、当時は3日間で341.6キロ。

野口さん:
単純に比較はできないのですけど、規模からいえば箱根よりも100キロ以上距離が長くて、最も大きな駅伝大会だったと言えそうですね。

越崎:
選手はちょっとイヤだったでしょうね。

野口さん:
どうでしょうね。逃げ出したくなったかもしれないですね。そんな駅伝も石油ショックなどで10回で中止になったと言われています。

そこで、目からウロコです。

野口さん:
「元気な能登復活へ。若いパワーで加速」ということです。
今、駅伝を再開させようという動きが出ています。全国の学生ランナーに能登の復興プロセスを伝えよう、学生と被災地の住民が触れ合う機会を提供しようという狙いがあります。年末に「産学官石川復興プロジェクト会議」を立ち上げて、地元を代表する企業、大学が参加して色んな分野で被災地を後押ししていく。駅伝の開催はプロジェクトの柱になるメニューなんですね。新年度には開催の時期やコースをどうするかなど、具体策の検討に入るということです。

越崎:
大会にむけて実際に動きだしているというところだと思うんですけど、多くの課題もあった中で1つ、大きな出来事があったんですよね。

野口さん:
そうですね。開催するにあたり、どうしても道路網の修復が大前提となりますが、年末には大動脈の国道246号が全線で開通しました。地震や豪雨で、県が管理する道路は最大87か所が通行止めだったのが、年末年始で通行止めは19か所に減りました。開催できるとなれば完全復旧を広く発信する象徴的なイベントになります。震災の大きさを感じながら走ることは、選手たちに全国のどの大会にもない体験を提供できると思いますね。

それではもう一ついきましょう。目からウロコ!!です。

野口さん:
「能登の自然と人情やさしさを伝えたい」
能登をめぐるスポーツの祭典としてひとつ忘れてならないビッグイベントがあります。「ツール・ド・のと」です。

野口さん:
平成元年から始まって、400キロ以上を3日間かけて走る、全国的にも大変知名度の高い大会になっています。去年は残念ながら道路事情が悪くコースが縮小されましたが、沿道の応援が温かいと選手たちに評判で、前の年より多い732人が参加したということなんですよね。能登は祭り王国と呼ばれていて、祭りに来た人を「これでもか」というくらい、もてなすのが能登の流儀です。ツール・ド・のとと合わせて能登駅伝も能登の人が燃え上がる新しい「祭り」になるんじゃないかと思いますね。能登の自然も本来は人にやさしい。駅伝ではそんな「本物の能登」をアピールする、そうした期待を持ちながら復興2年目をスタートしたですね。

越崎:
ここまで野口強さんでした。ありがとうございました。

最終更新日:2025年1月7日 19:47
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