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豪雨災害で再び被害 苦境に立つ石川県珠洲市の「塩づくり」 再起にむけて

2024年10月16日 19:03
豪雨災害で再び被害 苦境に立つ石川県珠洲市の「塩づくり」 再起にむけて
9月の豪雨災害で再び大きな被害にあった珠洲市の塩田村。伝統の「塩づくり」が苦境に立たされる中、再起を誓う男性の思いを取材しました。

10月10日、奥能登豪雨から約3週間。大規模な土砂災害が町を襲った珠洲市大谷地区では、いまも、その爪痕が色濃く残っています。豪雨での被害はこの地域の伝統産業にも暗い影を落としていました。


道の駅「すず塩田村」駅長・神谷健司さん:
「これ復旧するのはかなりの労力、時間が必要になるかなという思いで、ずっと塩田を眺めていましたね。言葉がなかったですね」

道の駅「すず塩田村」の駅長・神谷健司 さん。豪雨の翌日に見た変わり果てた塩田の姿に言葉をなくしたといいます。

汲み上げた海水を砂地にまく「揚げ浜式」と呼ばれる塩づくり。日本で唯一、珠洲に残っている技法とされ、その魅力の発信拠点となっている塩田村では、これまで、多い年で年間18万人の観光客が訪れていました。

しかし、元日の地震で塩田にはひびが入り、海水を汲み上げていた海岸線は40メートルほど沖へ後退。海岸からの配管を伸ばすなどして、地震の約4か月後の 4月24日、ようやく「塩づくり」を再開しました。道路の復旧が進めば、年内には、観光客を迎えられる見通しでした。

ところが―。
9月21日に奥能登を襲った豪雨が復興までの道のりを一変させました。

砂地を覆う、岩や流木。近くの斜面から流れ出た土砂が2面あった塩田を完全に飲み込みました。

神谷健司さん:
「四角く残っているのが塩田なんですけど、どれくらいですかね、10センチから多いところでは20センチの土砂が流入してしまったということですね」

泥は塩水を炊くためのかまどの中にまでも流れ込みました。ことしの塩づくりは中止せざるを得ず再開の見通しは立っていません。

さらに…
「この先進めない」

観光客を運ぶ主要なルートにも新たな土砂崩れが発生。地震後に描いていた本格復旧の見通しは更に遠のきました。

厳しい状況のなか…。
神谷健司さん:
「こちらへどうぞ。はい。お疲れ様でした。能登ワインさんこちらです。どうぞ」

神谷さんの明るい声が響くのは、塩田からおよそ50キロ離れた穴水町。「能登ワイン」を訪ねたツアー客に珠洲の塩をPRです。

「ありがとうございました」
「がんばってください」
「頑張ります。ありがとうございました。」

観光客が来られないなら、自分たちが出向く。発信拠点としての役割は健在です。

神谷健司さん:
「皆さん、こんにちは。塩田村でございます。必ず復活させます。もう一度ぜひ能登においでくださいね。」

「能登にはまだ魅力ある施設ありますんで、今しか行けない能登ぜひお楽しみください。どうもありがとうございました。」

力強い拍手が、神谷さんの背中を押してくれました。

神谷健司さん:
「一言一言頑張ってくださいとか、また来ますとか、そういう言葉をいただいて、本当になんかちょっと胸が熱くなるようなね。先の見通しははっきり立たないんです。でも、できることから少しずつ準備をして、一歩は足りないけれどもしないけど、半歩ずつでもずっと進んでいけたらいいなと思っています」

復興への道のりは、険しい。しかし、進み続けることを決めた神谷さん。

再び、塩田に観光客の笑顔が戻る日まで。

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