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【ウクライナから避難2年】88歳母と娘の今…「長い時が経ってしまいました」

2024年2月15日 7:00
【ウクライナから避難2年】88歳母と娘の今…「長い時が経ってしまいました」

日本で暮らすウクライナ避難民は2000人あまり県内では32人が暮らしている。
そのうちの1人がイリナ・ホンチャロバさん。そして母のリディヤさん。

イリナさん「こんにちは」
リディヤさん「おはようございます。」

2人はロシアによる侵攻から54日後、石巻市に暮らす息子を頼り、避難してきた。

この日、訪れたのは母・リディヤさんが週に1度通うデイサービス施設。
88歳になるリディヤさんにとって同世代に人々との交流は大切なひと時だ。

「言葉は通じないけどだいたい(分かる)。長いしずっと一緒だから。ね」

施設に通って1年9か月、友達も出来た。

イリナさん
「お母さんは施設に行く火曜日は特に体調が良いです」

<「戦争が終わったらすぐに帰りたい…」>

イリナさんの取材を始めたのは避難生活が始まって7日後だった。
市内の教会で長男のヴィタリィさんと共にウクライナに残る家族の身を案じ祈りを捧げていた。

イリナさん
「おはようございます。」

イリナさんは市から提供された災害公営住宅で暮らし、部屋には故郷の写真を飾っている。

ウクライナ北部の都市チェルニヒウは緑と音楽にあふれた美しい街だったそう。

幸せな日常はあの日を境に一変した。

イリナさん
「チェルニヒウは毎日空襲警報が鳴っています。 家屋の80%が破壊され、人々は家を失いました。」

ウクライナには次男のニコライさんを残したままだ。

戦争が終わったらすぐに祖国に帰りたい…
でもその日が訪れるまで母は健康でいられるのか心配している。

<高齢の母を想い 毎日作る「ウクライナ料理」>

イリナさん
「お母さんはとても高齢で、以前ほど体調が良くないことは理解しています」

避難生活が長引くほどに不安は大きくなっていった。

日本で手に入る食材を工夫して毎日のように作るウクライナ料理。母の体調を気遣う。

イリナさん
「お母さんは昔は私の世話をしてくれましたが、今では私の方が世話をしています。それはとても幸せなことです。私はまだ長い間お母さんの娘でいたいです」

ウクライナにいた時も慈善団体で高齢者支援に携わってきたイリナさん。

<去年8月から老人ホームで勤務>

去年8月からは母が通う施設からの誘いを受け関連の老人ホームで働いている。
この日はデーサービスで配膳の手伝いをしていた。

イリナ「リディヤさん」
リディヤ「ありがとう」

ロシアによるウクライナ侵攻からまもなく2年。

避難者を支援する団体が去年10月に発表した調査では「日本で働いている」と答えた人は44.1%と、調査のたびに増加している。

また「状況が落ち着くまでしばらく日本に滞在したい」「出来るだけ長く滞在したい」との回答が7割に上る。

「石巻は私たちにとって第二の故郷」

イリナさん
「私たちは戦争が早く終わること を心から願っていましたが、すでに長い時が経ってしまいました。チェルニヒウ、ウクライナ、石巻、日本。私が言いたいのはこの町は私たちにとって第二の故郷となっているということです」

2人は人々との出会いを大切にしながら避難生活を送ってきた。
母と共に海を越えて祖国に帰れる日を待ち続ける。

そして、イリナさんは何よりも大切なのはウクライナの人々が自由であり続けることだと話す。

イリナさん
「ウクライナ人が最も愛しているのは自由と意志を貫くことです。」

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