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【小児がん】4歳で “余命1年 ” の宣告 …つらい治療に耐え、精一杯生きた心菜ちゃん “天国の娘”と家族の決意【every.しずおか特集】

2023年11月17日 13:51
【小児がん】4歳で “余命1年 ” の宣告 …つらい治療に耐え、精一杯生きた心菜ちゃん “天国の娘”と家族の決意【every.しずおか特集】

歌やダンスが大好きで、元気いっぱいの女の子、心菜ちゃん。4歳の時、脳に腫瘍が見つかり、小児がんと診断され、余命1年と宣告されました 。病気により、徐々に体が自由に動かなくなっていきます。それでも精一杯生きようとした心菜ちゃん。しかし、わずか5歳で天国へと旅立ちました。
どれだけの月日が経とうと、家族の悲しみが癒えることはありません。 そんな中で始めたのは、娘と同じ小児がんと闘う家族の支えになったらと、レモネードを売って寄付を募ること。残された家族が決意した新たな思いとは。

小児がんと闘う家族の支え「レモネードスタンド」

ある週末、浜松市内の書店の一角で、レモネードが販売されていました。これはレモネードスタンドという、レモネードを売って、その収益を小児がんと戦う親子のサポートなどに寄付する活動です。レモネードを売る神門えみ子さんも、3年前、5歳の娘・心菜ちゃんを小児がんで亡くしました。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「最初は小児がんを知ってもらうのが意義だったんですけど、自分の子どもも小児がんで亡くなりましたとか、小児がんではないけれども、長期入院を頑張ってますとか、気持ちを吐露しに来てくれる場所だとしたら、やっていて大きな意味があるなと思ってます」

神門さんの自宅には、心菜ちゃんとの思い出がたくさん飾られています。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「小さいころからずっと、1歳の写真とか、私と夫がそれぞれ好きな写真を並べてるみたいな感じ。亡くなったという感覚がなくて、ずっと一緒に暮らしてる感覚なので、いつも一緒にいる」

神門さん夫婦が結婚して3年目に誕生した心菜ちゃん。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「いつも笑ってたし活発でしたね、お手伝いをやってくれて、洗濯物は畳んでくれるし、本当に気がついたら全部やってくれてます」

2歳の時に弟ができてからは、日に日にお姉さんらしくなり、心も体もすくすく成長していました。しかし4歳になった頃から、心菜ちゃんの体調に 異変があらわれます。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「生まれた時から全然寝ない子だったのに、急に寝るようになったんです。朝起きて『きょうはね、頭がお風邪だから、お外遊びバツにして』って毎日言うようになって。でも、熱もない風邪の症状もない、病院に連れて行って、これを診てくださいって訴えられるほどのこともない」

原因不明の不調。次第にその異変は体にもあらわれるようになります。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「『ママ、左手のパーができないの』と言ってきて、本当にパニックでした。(病院では)即CT検査で、白い影が映ってるんだけど、炎症か脳出血か脳腫瘍ですって言われて『緊急入院してください』って」

その後告げられた病名は、脳腫瘍の一種、小児脳幹部グリオーマ、通称 DIPG。脳の中で生命を維持する重要な器官にがんができる病気で、いまだに根本的な治療法はありません。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「余命1年10%…生きるための治療を提示してもらえなくて、信じられないのと納得もできない、言葉は悪いけど、先生たちがおかしいんじゃないかと思って…うちの子、まだ4歳なんだけど」

つらい治療に耐え続けた心菜ちゃん

この病気の進行は、麻痺として現れ、徐々に体の自由が奪われていきます。心菜ちゃんには頭の中にばい菌がいると伝えられ、放射線治療が始まりました。すると、薬の副作用で体重が増え、顔はパンパンに。闘病の様子を記した神門さんのブログには、当時、放射線治療を受ける心菜ちゃんの様子が書かれています。

(神門えみ子さんのブログ)
「今日から放射線治療が始まる。心菜にはしっかり説明をして、理解はしてくれている様子。文句は何一つ言わなかった」
「ママー。ママーと呼んでいた。薄暗い部屋で顔にはマスクをはめて寝かせられ、どんなに不安だっただろう。涙が溢れてきた」
「どうしてこんな絶望的な病気があるのだろう」

辛く苦しい30回もの放射線の照射に耐えた心菜ちゃん。一時は退院して、歩けるほどになりました。家に帰れたことが嬉しくて仕方がなかった様子の心菜ちゃん。神門さんもこの笑顔がずっと見られるのではないかと、奇跡が起こることを願いました。しかし、退院から2か月後の検査結果で、再び腫瘍が大きくなっていることがわかったのです。

病気は再び進行し…

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「放射線治療や治験手術も頑張ったのに、なんで再燃しちゃったんだろう。再燃したら余命3か月ぐらいと言われていたので、2度目の余命宣告ですよね、そっちの方が辛かった。心菜ちゃんがいなくなっちゃうのかなって」

再び放射線治療のために入院することになりましたが、コロナ禍により面会は制限され、家族でさえ会えない日々。それでも心菜ちゃんは、弱音も吐かずに、つらい治療と戦い続けました。

我慢の日々を乗り越え、迎えた退院の日。久しぶりに会えるお父さんをエレベーターの前で待つ心菜ちゃん 。
本当はずっと辛かったのでしょう。5歳の小さな体に、抱えきれないほどの苦しみを内に隠して頑張っていたのです。これが、闘病中、心菜ちゃんが唯一大声で泣いた瞬間だったといいます。

退院後、動きづらい体にも関わらず、お母さんのお手伝いをしようとする心菜ちゃん。しかし、再び体の自由がきかなくなっていきます。徐々に話すことすら難しくなっていきました。そして1か月半後の、2020年7月31日、家族に見守られながら天国へと旅立ちました。

“天国の娘”と家族の決意

たとえようのない深い悲しみと共に、ふさぎ込んでしまった神門さん。そんな神門さんに、再び動き出すきっかけをくれたのも心菜ちゃんでした。闘病を記録したブログを見た、同じ小児がんで苦しむ家族や遺族からメッセージがくるようになり、話を聞く機会が増えたのです。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「全国各地から連絡がくるようになって『心菜ちゃんに励まされました』というメッセージもある、そういう人たちを支援する環境のために動かなくちゃいけないなと」

そこで始めたのが、レモネードスタンド。これをきっかけに、心菜ちゃんとの経験を広く共有して生かしていきたいと考えたのです。

中には、レモネードを20本、ケースで買っていく人も。
実はこちらの女性、5歳の娘を心菜ちゃんと同じDIPGで、おととし亡くしていました。その闘病中に神門さんと連絡を取り、支えてもらったこともあったそうです。

(DIPGで娘を亡くした女性)
「発信してくださる方がいるので心強い、 自分だけじゃないから頑張れる。闘病中にささいな質問に的確にアドバイスを頂いた、医療関係者には聞けないことを聞ける窓口があって、すごく支えていただいたなと思います」「身近なところから輪を広げるために20本買いました」

神門さんは小児がんと闘う子供と家族に、“独りではない” ことを伝えたいと言います。

(心菜ちゃんの母親 神門えみ子さん)
「(DIPGで)子どもを見送ったからこそできることとして、病気を抱えている子どもと家族が、少しでも良くなるようにように、負けないように…心菜が教えてくれたことを胸に、ちゃんと生きていきたいなって思っています」

(静岡第一テレビ every.しずおか 2023年6月30日放送)

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