「2人に会いたい」裁判参加のため“認定死亡” 苦渋の決断も帰りを待つ家族 観光船事故2年
2年経ったいまも時が止まったまま…という被害者家族がいます。
断腸の思いで大きな決断をいた家族もいます。
今年も節目の日を迎えて、やり場のない思いが募ります。
(帯広市内の男性)「今一番思うこと。2人帰ってきてほしい。2人に会いたい」
北海道帯広市内に住む51歳の男性です。
いまなお行方不明の6人。
そのうちの2人は、当時7歳だった息子とその母親です。
事故当日の朝「今から船乗る!」このやりとりを最後に連絡が取れなくなりました。
(帯広市内の男性)「まるで2年経ったとかそんな気はしなくて、あっという間。時間が経った感じはしないです」
(帯広市内の男性)「他の子より小柄だったので、ランドセルが大きく見えて、ランドセル重そうにしていたなあ」
1年前。
(帯広市内の男性)「生存の可能性が厳しいのはわかっているんですけど。どうしてももしかしたらって」
しかし、迎えた事故から2年目の23日までに、男性は辛い決断をしていました。
(帯広市内の男性)「2か月くらい悩んで、今回裁判に参加するために(息子の)認定死亡の手続きをしました。今回の裁判に参加するためには行方不明者家族のままでは参加することはできない」
それは男性が「家族」ではなく「遺族」となることを意味します。
(帯広市内の男性)「今までは学校の方でも在籍という形にしてもらっていたが、認定死亡にすると学校には在籍という形は難しくなる。あくまで裁判に参加するための、自分の中で割り切って、自分の気持ちの中では2人を待ち続ける気持ちは変わっていない」
いまなお大切な人の行方が分かっていない人は道外にもー
福岡県久留米市の小柳宝大さん。
カンボジアの飲食店で働いていて、一時帰国した際に知床を訪れ、事故にあいました。
宝大さんのお父さんは、今年も春まだ浅い知床にー
あの日、カズワンが出港したウトロ漁港です。
(宝大さんの父)「来るときはうれしい気持ちですね。お骨の一つも帰ってきていないですからね」
最愛の人をすぐ近くに感じる場所・ウトロ。
胸に去来する思いはひとことでは言い表せません。
(宝大さんの父)「宝大にもちょっとくらい強くなって生きていくよと言いたいですね。宝大が好きで最後に来た場所だから、ウトロには前みたいににぎやかになってほしいと私は思います」
あの日から2年。
家族の時計は少しずつ動いたり止まったままだったりー
でも、大切な人の帰りを待ち続ける苦しみはあの日から変わっていません。