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【特集】中越地震20年で迎えた「全国闘牛サミット」 各地からの支援に感謝と伝統文化をこれからも 《新潟》

2024年6月15日 5:50
【特集】中越地震20年で迎えた「全国闘牛サミット」 各地からの支援に感謝と伝統文化をこれからも 《新潟》

長岡市旧山古志村の伝統「牛の角突き」。
ことし5月26日、「全国闘牛サミット」が長岡市で開かれ、中越地震の際に寄せられた支援への感謝を伝える場になりました。
闘牛文化をこれからも……中越地震から20年を迎えることし、山古志の人々はその思いを深めています。

◆牛の角突き

震災によって途絶えかけた伝統は多くの支え、新しい風を受けながらいまに受け継がれています。

長岡市旧山古志村の「牛の角突き」。
ことし5月26日、闘牛文化を持つ地域が集まる「全国闘牛サミット」の記念大会が開かれました。

山古志闘牛会の会長、松井富栄さん。9年前に亡くなった父親から会長を引き継ぎ、地域の誇りを守ってきました。

<山古志闘牛会 松井富栄会長>
「復興の中で全国の闘牛会の皆さんが応援してくれて、牛をなくした分を送ってくれたりして、この20年を皆んさんのおかげでやってこられてうれしい気持ちでいっぱいです」

2004年10月23日に発生した中越地震。震度6強の揺れが山古志を襲い、住宅が倒壊、至る所で道路が寸断しました。陸の孤島となり住民たちは「全村避難」を余儀なくされました。

家族同然だった牛も被害に遭いました。当時、県外で働いていた松井さんは地元に戻り、父親の治二さんとともに牛の救出に奔走しました。

「牛の角突き」は傷ついた山古志の住民にとって復興のシンボルに。震災から半年後には仮設の闘牛場で再開しました。

◆鹿児島県から牛が



ことし4月。牛舎に到着したトラック。荷台から1頭の闘牛が姿をみせました。
「全国闘牛サミット」の記念大会に出場させようと鹿児島県徳之島からやってきました。名前は「がん太」5歳です

<山古志闘牛会 松井富栄会長>
「今は来て興奮状態なのでこれから1週間くらいはぐったりしていると思います。あとひと月しかないのでしばらくはゆっくり休んで」

「全国闘牛サミット」は岩手県久慈市や沖縄県うるま市など9つの地域が年に1度集まるイベントです。文化の保存や交流などを目的に持ち回りで開かれています。

闘牛会の会長だった松井さんの父・治二さん。中越地震によって牛舎が倒壊し、8頭の闘牛が犠牲になりました。

さらに助け出した牛は飼育ができない環境・・そのとき手を指し伸ばしてくれたのが徳之島の人達でした。地震で多くの闘牛が被害にあったこと知り、代わりに面倒をみてくれました。

<松井さんの父・治二さん>
「こっちの人たちと交流して、気持ちを通じ合いたいと思っている。本当に今回の被災には大きな力を貸してもらいましたから」

多く人たちの支援を受けながら震災を乗り越えた山古志の闘牛文化。ただ、今は別の課題に直面しています。

震災当時2200人ほどいた山古志の人口は現在750人を下回っています。人口減少、過疎化とともに闘牛に携わる人も減り震災前と比べると牛の数も30頭ほど減りました。

◆”闘牛の魅力を伝えたい”

そうした中、広がりを見せているのが女性オーナーです。2017年に発足した「山古志角突き女子部」。現在の会員はおよそ60人。メンバーは市の内外から集まっています。

”闘牛の魅力を伝えたい”その思いでオリジナルグッズを作り売り上げの一部を牛の飼料代などに寄付しています。

部長の五十嵐明子さんです。

<山古志角突き女子部 五十嵐明子部長>
「利益の一部を牛さんのエサ代に 充てますよという感じで牛さんの役にも立ちたいという 思いもあります」

魚沼市出身の五十嵐さんは2016年から牛のオーナーとなりました。現在は、長岡市で暮らし、休みに合わせて山古志に通っています。

こうした「角突き女子部」の設立がきっかけのひとつとなり、山古志では2018年、女性の牛持ちが闘牛場に立ち入ることを認めました。

<山古志角突き女子部 五十嵐明子部長>
「大きいフォローは難しいかなと思うので、女子部なりにできることをコツコツと楽しみながらやっていけたらいいなと思っています」

山古志の闘牛文化を支え新しい風を吹かせています

◆「全国闘牛サミット」

「全国闘牛サミット」当日。総会では各地域が抱える課題について話し合われました。

<岩手県の闘牛関係者>
「闘牛会としてもいろんな考えを持ちながら牛を育てていただける生産者を育てていかなければならないのかなと」

後継者不足や観客を増やすためにはどうしたらよいのか・・課題や今後の方針について意見を交わします。

<沖縄県の闘牛関係者>
「沖縄県の闘牛組合全体が若いメンバーが入ってきている。女性の入場料を男性よりも1000円安くしているのも女性客が増えてきた要因にもあるかなと思っています」

会場を山古志闘牛場に移して行われた記念大会。松井さんは20年前を振り返りながら感謝の思いを伝えました。

<山古志闘牛会 松井富栄会長>
「私たち山古志地域は20年前に大きな災害が起き、ここに帰ってくるのも3年かかりました。でもその間、全国の闘牛会の方々が募金を送ってくださったり、多くの方々からご支援を頂きまして、きょうの日を迎えれられることができました」

徳之島のメンバーがにぎやかに会場を盛り上げる中、1カ月前に到着した「がん太」が登場。牛持ちの女性が綱を引きながら、山古志で飼育されている牛と頭を合わせます。

山古志地域では牛を傷つけないようにと引き分けにするのが習わしです。
その後も、山古志の闘牛文化が披露されました。

<沖縄県の闘牛関係者>
「違った文化を見せていただいたなと思って非常に良かったです。とても楽しかったです」

同じ闘牛文化を持つ地域だから分かり合えること……そのつながりを再確認する機会になりました。

<山古志闘牛会 松井富栄会長>
「ここだけの闘牛とか角突きになってしまえば、この地域は先はないと思うので、 またみんなに知ってもらって楽しんでもらって、牛も人もお客さんも喜んでもらえるものがこれからもやっていきたいです」

初場所が幕を開け、熱のこもった取組が繰り広げられる。「牛の角突き」。
中越地震から20年。ことしもにぎやかな声が山古志に響きます。

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