【特集】家族2人が犠牲になった中越地震から20年 山古志の遺族 家族が遺したカグラナンバンに思い託して≪新潟≫
2人の家族を失った旧山古志村の遺族の20年です。
当時、山古志に帰るのか決断を迫られた遺族。
心の支えとなったのはふるさとの特産である「カグラナンバン」でした。
いま、カグラナンバンの種に託している思いとは…。
ここに帰ってきてもいまは誰も住んでいません。
それでも、花々を咲かせフルーツを育ててきました。
旧山古志村楢木集落で暮らしていた畔上満喜さん。
ことしのお盆。 子どもや孫たちと慰霊碑に手を合わせました。
20年前の中越地震……夫の勝さんと義理の母・よしさんはこの場所で帰らぬ人となりました。
〈畔上満喜さん〉
「中越地震でここをなんとかみんなが来れる場所にしたいなというのがやっぱり、自分の希望だったし、お父さんもきっとそうだったと思うんですよね。ここを好きだった人だし。ちょうど理想通りになっているんじゃないかと思って」
2人を奪った地震。
その後、大切に守ってきた野菜があります。
〈畔上満喜さん〉
「ほら、実際に見るとすごい大きいんですよ。ほら!よくできてるでしょ」
肉厚でピリッと辛い山古志の伝統野菜「カグラナンバン」です。
ふるさとの土に触れることで悲しみを乗り越えてきました。
当時の楢木集落2004年10月。
旧山古志村はいたるところで大規模な土砂崩れが発生。
川がせき止められ楢木集落は民家が次々に水につかりました。
牛舎の写真畔上さんの牛舎です。 激しい揺れで倒壊しました。
当時、堆肥を運ぶ作業をしていた勝さんとよしさんが下敷きとなりました。
満喜さんが地震の2か月後に撮影した映像です。
〈映像中の畔上満喜さん〉
「あ~だめだな。ますます悪いよね」
一時帰宅するたびに、自宅の状態は悪化していました。
柱は傾き、壁ははがれ落ちています。
コメ作りのかたわら一代で畜産業を軌道に乗せた勝さん。
3人の子どもに恵まれ、一家の大黒柱でした。
〈畔上満喜さん〉
「働き手が亡くなって、なんかちょっと、みんなとは一線違う感じが、自分の中にある。残った家に、がんばっててもらいたい。それだけ。あの建っている家がつぶれると、すごい寂しい」
しかし、被災地を19年ぶりの大雪が襲います。
満喜さんの自宅は一部が倒壊。
雪の重みに耐え切れませんでした。
山古志に戻るのか……
満喜さんは揺れていました…。
〈畔上満喜さん〉
「帰ってきて、いままでの生活がないことが、つらい。家族みんながそろっていて、帰ってくるならいいけど、残った私たちだけが帰ってきてもなんかつらいから。いっそのこと違うところへ行って、生活をしようかなと思ったりもしますね……」
地震の翌年の春、小さな命が芽生えました。
「カグラナンバン」の芽です。
亡くなったよしさんが遺した種を満喜さんが山古志から持ち帰っていたのです。
カグラナンバンを育てるのは初めてのことでした。
〈畔上満喜さん〉
「ある日突然に芽生えが始まって、すごいうれしかったですね。責任感じてます。もうこれが最後の種だと思うと。いつもはそういう思いはないんですけど。これが最後の種だと思うから。すごい責任感ありますね」
命がつながった……。
小さな芽は、よしさんが生きていた証でした。
地震翌年のお盆。
満喜さんは家族や親せきとともに楢木集落へと向かいました。
しかし、大雨で川は増水……集落にかかる橋は沈んでいました。
変わり果てた、ふるさと。
家を失い家族も失いました。
〈畔上満喜さん〉
「倒壊した牛舎のこと、家のこと、後始末は、私たちがみんな家族で協力して、ちゃんとやるから大丈夫ですとそのように、言いました」
それでも、この地で命をつなぐことにしました。
よしさんが遺したカグラナンバン。
牛舎があった敷地に苗を植え、大きな実をつけました。
〈畔上満喜さん〉
「これだけは守っていきたいなと思うんですよね。すごい大きい。うれしい……このいつもの場所でできたのがうれしいですね」
土砂崩れの恐れがある楢木集落。
話し合いの末、近くの高台に移転することになりました。
しかし、29世帯のうちおよそ6割が山古志を離れることを決断。
14ある山古志の集落のうちでもっとも多い割合となりました。
山古志を離れる人の中には、満喜さんの姿も。
地震から1年、思い出の詰まった自宅をすべて解体しました。
夫がいないふるさとでの暮らしは考えられない。
悩んだ末の決断でした。
あの日から20年
満喜さんは長岡市の郊外に家を建て、二男の峰雄さん家族と暮らし始めました。
日常が一変したあの日から20年。
ことしの春、満喜さんは二男の峰雄さんとともに楢木集落を訪れていました。
高台に移転し、住む人のいなくなったふるさと。
峰雄さんが案内をしてくれた場所は…
〈畔上峰雄さん〉
「自分の基地です。自分で全部作りました。親父がここでシイタケ林とかでやってたところだったんですけど、地震後に久々に15年くらい経ってから行ってみたら、すごい木とかが生えていて、けっこうショックを受けて、これちょっと何とかしたいなと思って」
地震のつらい記憶がよみがえるため、山古志に帰りたくないと思った時期もありました。
でも、ここは亡くなった父・勝さんに育てられたかげがえのないふるさと……
〈畔上峰雄さん〉
「生まれてからずっとこの景色を26まで見てきたのでやっぱ落ち着きますよね。26で地震になったので。自分は離れた人間ですけど、楢木を忘れないように、ずっと通って大事にしたいなと思いますよね」
そして、峰雄さんが受け継ごうとしているものがあります。
亡くなった祖母のよしさんが遺したカグラナンバン。
いま満喜さんから育て方を学んでいます。
この日は初めて種をとります。
〈畔上峰雄さん〉
「おばあちゃんの代からずっと続いてて、母も年をとってるし、これをなくすわけにはいかないなと思って」
熟した実を割って中から種を取り、乾燥させます。
〈畔上満喜さん〉
「これはね、意外とね、開けてみると種が入ってないよ。ほら3つ4つしか入ってないが。ほら」
〈畔上峰雄さん〉
「わ、本当だ、へー。全然入ってないね」
亡くなったよしさんから満喜さんへ、そして満喜さんから峰雄さんへ。
地震で途絶えることなく、カグラナンバンの種が引き継がれていきます。
〈畔上満喜さん〉
「おばあちゃんが、よしおばあさんが一番喜んでいるんじゃないですか、孫がやってくれるなんて思いもよらないから、と思います」
10月23日。勝さんとよしさんの命日です。
慰霊碑には花を手向ける人の姿が絶えませんでした。
山古志を離れた満喜さんと峰雄さん。
花を植え、草を刈り、訪れる人を迎える準備をしてきました。
〈畔上峰雄さん〉
「親父がずっと守ってきた土地をこんどは自分たちが守っていかなければいけないなという思いで、この20年やっていて、今後は親父に負けないような感じで、ここを継いでいくぞっていう思いですかね」
〈畔上満喜さん〉
「この場所もすごい悲惨な場所だったんですけど、荒らしてしまったら草ボーボーとかになったら地震にも負けることになるような気がして。自分でやれることはできるうちはやって、お花だけは植えてきれいにしておきたいなとは思うんですけど」
地震に翻弄された20年。
ふるさとを離れる決断もしました。
それでもここは亡くなった家族が愛し、守った土地。
その思いは小さな種とともにこれからも受け継いでいきます。