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【特集】拉致認定を求めて 特定失踪者と家族の50年 大沢孝司さん 兄や同級生の訴え続く 《新潟》

2023年11月27日 20:03
【特集】拉致認定を求めて 特定失踪者と家族の50年 大沢孝司さん 兄や同級生の訴え続く 《新潟》
大沢孝司さん。北朝鮮に拉致された可能性を否定できない特定失踪者のひとりです。
こうした特定失踪者の問題が明るみになったのは、2002年。北朝鮮から拉致被害者5人が帰国してからです。

■北朝鮮に拉致された可能性が否定できない「特定失踪者」

佐渡市で行方が分からなくなってから2024年の2月で50年が経とうとしています。再会を待つ家族や同級生・・・。しかし、拉致と認定されない難しさがずっとつきまとっていました。

封筒から取り出した数枚の資料。
大沢さんの友人が、大沢さんがいなくなった当時の様子を証言したものです。

【大沢孝司さんの友人・宮崎直樹さん】
「卓球をしたり食事をしてお酒を飲んだりした次の日曜日に突然いなくなった状況でみんなびっくりしていますよね」

大沢孝司さん、当時27歳。
北朝鮮に拉致された可能性が否定できない「特定失踪者」のひとりです。

大沢さんは、県の職員として佐渡市で働いていました。

いまから49年前の1974年2月24日。
寮の近くの食堂で食事をとり、知り合いのもとに立ち寄ったあと行方がわからなくなりました。

その後の民間の調査などによると、最後に目撃された直後、車が急発進する音を聞いた人がいるといいます。

■同級生が作成した記録には証言が

資料を見せてくれたのは孝司さんの大学の同級生、宮崎直樹さんです。
卒業後に就職した県庁の同期でもあります。

「大沢孝司氏に関する記録」。
当時の同僚が大沢さんがいなくなった状況を2004年に改めて振り返ったものです。

行方不明になった2月24日の前日。こんな証言が・・・。

<証言>
「大沢氏と2階で卓球をした。カットマンの彼と1時間程度二人だけで遊んだ。楽しい時をすごしたと思っている」

「23日寮にて残った人と酒を飲んだように思う。その時、大沢氏が『明日日曜日温泉へ行こう』と我々を誘っていたが誰も返事をしなかった」

いつも通り卓球をしたり、翌日に友人を温泉に誘ったり、普段と変わらない様子だったことがうかがえます。

しかし、大沢さんは姿を消しました。

【友人・宮崎直樹さん】
「自分の意思で行方をくらませたのではないということを(資料から)確信できますよね」
「家族も含めて思い描いていたような人生が全く何一つ実現できなかったわけで悔しいだろうなって思いますよね」

特定失踪者の問題が明るみになったのは、2002年・・・。北朝鮮から5人の拉致被害者が帰国を果たしました。

このうち佐渡市で行方不明になっていた曽我ひとみさんについて政府は拉致と認定していませんでした。

「自分の家族も北朝鮮に拉致されたのではないか」

失踪者の家族がそうした声を上げるようになったのです。

大沢孝司さんの兄・昭一さんです。
【兄・大沢昭一さん】
「これ9月20日ですね、この号外でまさに私の運動は始まりました」

2002年、曽我さんの一報が伝えられると弟の救出に向けた活動を始めました。
そこには弟への申し訳なさからくる気持ちもありました。

【兄・大沢昭一さん】
「男の27歳の青年が行方不明になっても借金でもして逃げたんじゃないかとか仕事に失敗して逃げたんじゃないかとかそういう見方をされるんですね。みなさんの前に顔を見せるとあれが無責任に辞表も何も出さずに行方不明になった子どもの家族と言われるのがものすごく嫌で。本当にそれは悪かったと思っています」

■兄の大沢昭一さん、そして同級生の思い

昭一さんの自宅に孝司さんの大学時代の同級生が集まりました。
そこには宮崎さんの姿も・・・。

孝司さんをはじめ集まった4人は東京農業大学に入学。農業水利学を専攻していたといいます。

【孝司さんの同級生】
「私は測量が専門のゼミで大沢さんは水利とか灌漑のゼミだった」
「卒論でこういうことを書くんだけど測量のことを教えてくれないかって」
「そうとうきちんと詳しく卒論を書かれていましたね」

【孝司さんの同級生】
「(孝司さんは)卒論のテーマは、この西蒲原の土地改良というテーマで卒業論文を執筆していたと承知している」
「孝司くんは真面目に研究に取り組んでいたみんな総じてそういうことを言うんですよね」

同級生が口をそろえたのは孝司さんの「真面目」な性格。誰からも信頼される義理堅い人物だったということです。

【孝司さんの同級生】
「きちっと生活をしてくれていればいい・・・もちろん帰ってきてほしいのは当たり前だけど…ちょっとね…」

【兄・大沢昭一さん】
「辞表も出さずに行方不明になるとか職場放棄してどこかに行くということは絶対にやっていないはず。(拉致と)認定されない限り交渉のテーブルにのっけてもらえないことが一番気持ちとしてあるので認定認定と言ってきた」

拉致被害者として認定してほしい。そう訴えているのは昭一さんだけではありません。

ことし10月、東京都庁の前に特定失踪者の家族およそ40組が集まりました。

「特定失踪者問題調査会」が主催したもので、集会は2010年に一度開催されて以来、13年ぶりに開かれました。

【家族会代表 今井英輝さん】
「なんとか突破口をひらいてほしいこの拉致問題まだ間に合いますどうか力を貸してください」

警察庁によると北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者は871人にのぼります。
それぞれの家族や友人たちが再会を待ち続けているのです。

11月3日の祝日・・・。兄の昭一さんは弥彦神社を訪れていました。

家族で初詣に来た思い出の場所・・・孝司さんの行方がわからなくなって間もなく50年。27歳の青年は77歳になりました。

一緒に署名活動をしてくれる孝司さんの同級生をみて思うことがあります。

【兄・大沢昭一さん】
「弟も日本にいれば彼らと同じようなことができるのに・・・弟ばっかりどういう運命の過ちかわからないがあの国にずっといて人生の余裕がなかったのがかわいそう」

2002年から始めた署名活動。

関心が薄れてきていると感じることもありますが、足を止め、署名に協力してくれた人に励まされるといいます。

【署名した人は】
「50年会っていないって言っていましたね・・・私はまだ23年しか生きていないのでそれを考えると被害にあった方や関係者の方は毎日が長く感じるんだろうなって」

「本当に胸が引き裂かれますよね。自分の家族がもしそうなったらって。署名することによって動いてほしいですよね。もう何年もかかってやっていますけれども全然進まないですもんね」

集められた署名は11月11日の県民集会で政府関係者に手渡されました。

【大沢孝司さんの友人・宮崎直樹さん】
「同僚はみんな様々な職場でそれぞれの仕事を全うできたのに、孝司君はいまもどうなっているかわからない状況それが一番むなしいですよね」

【兄・大沢昭一さん】
「きょう署名してくれた人が『まだこんなことしなければだめなの?政府はどうなっているんでしょうね』なんて言葉を話しながらやっている人もいる。日本の国はとにかく本気を出してくださいってそれだけですよね」

孝司に会いたい。その一心で昭一さんと同級生は訴え続けています。

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