「いろいろな点が線になってオウムへ」地下鉄サリン事件から30年 松本サリン事件の翌年に発生【長野】

オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年。14人が死亡し、重軽症者は6000人以上に上りました。その前の年には松本サリン事件が起きていて、世界を震撼させた凶悪事件を忘れてはなりません。
「黙祷・・・」
東京・霞ケ関駅では午前8時すぎ、事件が起きた時間に合わせ、駅員らが黙祷を捧げました。
駅に設けられた献花台には、中野国土交通大臣のほか、駅員の夫を事件で亡くした高橋シズヱさんも訪れ、犠牲者をしのびました。
高橋シズヱさん
「ここに来ると当日のことを鮮明に思い出し、悲しみがこみが上げてくる。本当はこんな人生じゃなかったのにと思うと、悔しい思いもあります」
学生や会社員など8人が死亡、600人以上が負傷した1994年6月の松本サリン事件。その翌年、1995年3月20日に起きたのが、地下鉄サリン事件です。14人が死亡、重軽症者は6000人以上に上りました。地下鉄サリン事件の2か月後には…。
「麻原代表、逮捕です!」
事件を起こしたのは、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を教祖とするオウム真理教。その後の裁判などで、松本サリン事件の状況も明らかになってきました。
オウム真理教被害対策弁護団メンバーで、教団が松本市に建設した支部道場をめぐって、住民が起こした土地明け渡し訴訟にも関わった山内道生弁護士。地下鉄サリン事件の発生によって、松本サリン事件がオウム真理教の犯行だと確信したといいます。
山内弁護士
「オウム真理教が地下鉄でサリンをまいたんだなと、ピンときた。いろいろな点が線になってオウムのところにいくんですね。」
当時、オウム真理教がサリンの精製に必要な薬品を集めていたいう情報を得ていた山内弁護士。ほかにも、地下鉄サリン事件の2か月前、仲間である被害対策弁護団のメンバーのもとに、告発文のような文書も届いていました。いまだに差出人は不明です。
山内弁護士
「大変なことになりますよと(書いてあった)。(地下鉄サリン事件で)大変なことになってしまった。」
公安調査庁によりますと、オウム真理教は現在も、後継団体として麻原への絶対的帰依を明示する「Aleph(アレフ)」、そして「山田らの集団」、さらに、麻原の影響力を払拭したかのように装う「ひかりの輪」の3つの組織を中心に活動を続けているといいます。
今も施設内の祭壇等には麻原の肖像写真。また、過去の麻原の説法映像を視聴している構成員もいるといいます。
山内弁護士
「(当時)オウムに入っていく若者は、優秀で真面目で。知らないうちにカルト集団がはびこる土壌が、深く静かに忍び寄るということについて認識を持つ必要があるのではないか。私は痛切に感じる」
化学兵器を使って多くの命を奪ったサリン事件。30年が経ち、知らない世代も増えている中で、山内弁護士は事件があったことを伝えることもひとつの再発防止につながると話しています。