【箱根駅伝】中央学院“親子の給水”舞台ウラ 夢を託された息子から父へ贈った手紙
第100回箱根駅伝を彩った“親子給水”黒岩親子の秘話
◇第100回東京箱根間往復大学駅伝競走(2024年1月2日往路・3日復路)
数々の名シーンが生まれた第100回箱根駅伝。その中で、25年越しの夢を叶えた親子の給水シーンがありました。
中央学院大学の2年生・黒岩勇禅選手と、その父・弘樹さんが紡いだワンシーン。
幼い頃から箱根駅伝に憧れていた勇禅選手。その夢をサポートし続けた父・弘樹さんもまた、学生時代、中央学院で箱根路を目指すランナーでした。父は大学時代一度も箱根路を走ることはできず、その夢を息子に託してきました。
叶わなかった自身の夢“箱根駅伝”は、父・弘樹さんの中で『家族の中から箱根駅伝に走ってもらいたい』という思いがあったといいます。しかし、そこには一つの不安がありました。
『長距離を強制しているかもしれない』
そんな気持ちを払拭したのは、勇禅選手が中学校卒業のときに贈った手紙でした。
数々の名シーンが生まれた第100回箱根駅伝。その中で、25年越しの夢を叶えた親子の給水シーンがありました。
中央学院大学の2年生・黒岩勇禅選手と、その父・弘樹さんが紡いだワンシーン。
幼い頃から箱根駅伝に憧れていた勇禅選手。その夢をサポートし続けた父・弘樹さんもまた、学生時代、中央学院で箱根路を目指すランナーでした。父は大学時代一度も箱根路を走ることはできず、その夢を息子に託してきました。
叶わなかった自身の夢“箱根駅伝”は、父・弘樹さんの中で『家族の中から箱根駅伝に走ってもらいたい』という思いがあったといいます。しかし、そこには一つの不安がありました。
『長距離を強制しているかもしれない』
そんな気持ちを払拭したのは、勇禅選手が中学校卒業のときに贈った手紙でした。
『今でも支えてくれているのがお父さんです。今でもとても感謝しています。 なぜなら自分の生きる道を見つけてくれたからです。 自分はお父さんが見つけてくれた道をこれからもずっと走って進んでいきます』
『自分の生きる道』
弘樹さんはこの手紙から、勇禅選手自身の意思で陸上をやっていく、という思いを感じて救われたといいます。
手紙の言葉通り、勇禅選手は走り続け、箱根駅伝4区を出走。父の思いを背負い、また弘樹さんも給水係としてともに箱根路を走り、25年越しの夢が現実となりました。
100回目の箱根路に刻んだ親子の給水。そこには父・弘樹さん、息子・勇禅選手の2人が紡いだ、絆のタスキがありました。