大ケガ乗り越え“有言実行”の金メダル 体操・岡慎之助「パリ五輪が自分の心を動かした」
■“異例”中学卒業後に社会人チーム入り
岡選手は4歳で体操を始めると、15歳で出場した世界ジュニア選手権で個人総合初代チャンピオンに。団体優勝と合わせて2冠を達成しました。
中学卒業後は強豪・徳洲会体操クラブに所属。一般的に部活で取り組む選手が多い中、高校生で社会人チームに入るのは異例中の異例でした。
■全治1年の大ケガに「悔しい」
2022年の全日本選手権。世界選手権の代表選考も兼ねるこの大会で、東京五輪代表を抑えて予選を3位で通過した岡選手。決勝もあん馬で高得点をたたき出すなど、順調に試合を運んでいました。
しかし、4種目めの跳馬、ロペスに挑んだ岡選手は着地後、苦悶の表情を浮かべながら右ひざを抱え、そのままうずくまってしまいます。
右ひざの前十字じん帯を断裂する、全治1年の大けがでした。
岡選手は当時を「これまでこれほど大きなケガはなくて、しんどいというか悔しいですね、あそこでケガをしたのは」と振り返ります。
復帰に向けた手術は怖さもあると語った岡選手。断裂した右ひざのじん帯を再建するため、左脚の腱を右脚に移植しました。
手術翌日には「昨日の夜はこの辺(右脚)がずっとマヒしててきつかった」と吐露しました。
■地道なリハビリに「正直焦りも」
ケガから3か月後の8月、私たちは岡選手の練習場所を訪れました。
パリ五輪を目指すライバルたちが演技を磨く中、岡選手は地道にリハビリを行っていました。
岡「苦しいですね。まわりがどんどん新しい技をやっていたり、難度を上げて演技をしていて、どんどん自分から離れていくと思っちゃっていて。正直焦りも出ている、ちょっとやばいなと思っています」
1日練習をしないだけで感覚のズレが生まれてしまう体操。
岡選手は、復帰後に進化した演技ができるよう、理想の演技構成や、練習メニューを記した、トレーニングノートを作っていました。
午前中の90分間で43種類58セットのメニューなど、トレーニングの量も増やし、リハビリも根気強く行いました。
なかでも重点的に取り組んだのは、つり輪。ひざをケガをした今だからこそ、上半身の筋力が必要なつり輪を鍛えると決意しました。
岡選手は「ケガをして、何ができるかというとつり輪の力技。そこができていないと、何のための期間だったんだろうとなってしまう。頑張ります!」と意気込みも見せていました。
■「動いてる感覚があって気持ちいい」
ケガから7か月後の11月。
冬の間も、つり輪を強化しました。まだ反応が戻っていない部分もあり「手応え的にはまだきてないです」と本音も。
一方、右ひざの状態は、高い補助台から飛び降りて着地をできるまでに回復していました。
「怖いですけど、すごい動いてる感覚があって気持ちいいというかうれしい」
復帰へと、光が見えてきました。
■「脚は心配していない」ケガした跳馬もしっかりと着地
そしてケガから約1年がたつ、2023年3月。
復帰戦を想定した試技会に挑戦しました。
つり輪では、ジョナサン~ヤマワキのあとホンマ十字懸垂をピタリと静止。トレーニングの成果が出ている様子でした。
さらに跳馬ではドリックスをしっかりと足で着地。ケガから復活した姿を見せました。
岡「もう脚は心配していないです。パリ五輪で金メダルをとることが最大の目標。頑張ります!」
■有言実行の『金』
岡選手は代表選考会をトップで通過し、パリ五輪代表に。そして日本時間1日に行われた個人総合決勝で輝きを放ち、金メダルを獲得しました。
岡選手はケガ当時を振り返り「しんどいトレーニングを乗り越えてきて本当に良かったと思います」と語り、「ケガをしても、自分の中ではパリ五輪が軸としてあったので、それが自分の心を動かすというか、それがずっとあったからずっと前を向いて練習できたし、橋本選手に勝ちたいという思いがずっとあったので、それがこういう結果につながったと思います」と、ともに戦った橋本大輝選手の刺激もあって今回の金メダルにつながったと話しました。