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「最初は違うポジションやりたいなとか」 谷繁元信がたどり着いた“キャッチャーの面白さ”

2024年1月18日 19:00
「最初は違うポジションやりたいなとか」 谷繁元信がたどり着いた“キャッチャーの面白さ”
殿堂入り通知式に出席した谷繁元信さん
プロ野球・元中日谷繁元信さんが18日、野球殿堂博物館で行われた殿堂入り通知式に出席しました。

「正直、まさか自分がというところ。こうやって選出していただいて、野球殿堂入りできたというこの名誉を、すごくうれしく思っています」と、驚きと喜びが入り交じった様子の谷繁さん。

1988年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現DeNA)に入団すると、98年にはDeNAの38年ぶりの日本一に貢献。

そして02年に中日へ移籍し、4度のリーグ優勝と07年には中日を53年ぶりの日本一へ導きました。また14年からは中日の選手兼任監督、16年には監督を務めました。

「負けるのがとにかく嫌いでした。ライバルにも勝ちたいと思ってやっていましたし、色々なものに勝ちたいと思ってやっていました」と負けん気の強さが、27年間の長い現役生活の原動力。

NPB最多の3021試合に出場しましたが、「色々なことの積み重ねでそこまでたどり着いたと思うのですが、最後の2~3年というのはかなり試合数を意識しながらプレーしていました。日本のプロ野球の中では歴代1位の3021試合ですが、世界の野球選手にとってはそんなにたいした数字じゃないなとも思う」と振り返りました。

そしてギネス世界記録にも認定された27年連続ホームランについては「最後の1、2年はぎりぎり1本で届いた記録ですが、この記録も27年間プロとしてプレーしないと生まれない記録です。この記録も自分の中では一つ誇れる記録なのかなと思っています」とコメントしました。

またキャッチャーとしても、最も多い2963試合に出場した谷繁さんですが、キャッチャーを本格的にやり始めたのが高校1年生の夏の大会終了後。プロに入るまでのキャッチャーのキャリアは約2年だったこともあり、「最初は違うポジションやりたいなとか、キャッチャーつまらないなとか、なんで自分ばっかり怒られなきゃいけないのかとか、そういうところでスタートしていた」と、キャッチャーに面白さを見いだすことが難しかったと言います。

それでもキャリアを積んでいくと、「どんどん試合を読めるようになったあたりからキャッチャーって面白いなと。よく昔の方は『大舞台を経験するとキャッチャーはどんどん成長していく』と言われていますが、その辺が最初僕はあまりピンとこなくて。でも優勝して、日本シリーズを何度か経験してなるほどなと。こういうところがその経験がものを言うところなのかなというのが、ものすごく自分の中で出てきました」と、徐々にキャッチャーの面白さを実感していったことを明かしました。

そんな自分の経験から、今後キャッチャーを志す選手に向けて「人それぞれキャッチャーとしての楽しみ方ってあると思うんですよね。それを見つけて欲しいです」とエールを送りました。