いざ国スポへ!仕事とパワーリフティングの二刀流 驚異のパワー・腰山選手 原動力は地元愛 秋田県男鹿市
かつての国体で、今年名前が変わった国民スポーツ大会「国スポ」は、アマチュア選手にとって大きな大きな目標です。
ただ、都道府県の持ち回り開催は自治体の負担が大きいとして、将来的な開催方法などについて、今後、議論が進められていきます。
今年、パワーリフティングの全日本大会で準優勝した男鹿市の腰山浩汰選手は、営業職として働きながら、仕事と競技の両立に励んでいます。
国民スポーツ大会への思い、そして日本一にかける思いを取材しました。
日が昇ったすぐ後の男鹿市船川港。
腰山浩汰選手が現れました。
身長173センチ体重140キロの大きな体で取り組む競技が、限界への挑戦!パワーリフティングです。
腰山さんは、この競技を始めてまだ1年半あまりですが、今年3月に開かれた最高峰の全国大会、クラシックパワーリフティング選手権・男子120キロ超級で、準優勝を果たしました。
パワーリフティングは、スクワット、ベンチプレス、そして床から腰までバーベルを持ちあげるデッドリフトの3種目の合計重量で競います。
3月の大会で、腰山さんは、デッドリフトでは優勝者に並ぶ300キロ、スクワットでは一時日本新記録を更新する352.5キロをあげ、日本一まであと一歩に迫りました。
あげた重さと回数を細かくメモする腰山さん。
練習は、1日の負荷の総重量で目標を定めています。
スクワットだけで目指すのは10トン。
成長を数字で感じられることが腰山さんのモチベーションにつながっています。
朝早くから滝のような汗を流し、鍛えぬきます。
腰山浩汰さん
「正直朝とかトレーニングしてて楽しいなと思うところって正直あんまりないんですけど、それよりも自分の気持ちの中であと一つで日本一、自分がずっと目標にしてた日本一に手が届くので、いまはその目標のために辛くてもがんばりたいなというところが大きいですね」
約1時間半、自分のカラダと目標の数字に向き合い続けました。
午前7時半。
練習を終えた腰山さんは、仕事に向かいました。
腰山さんが務める男鹿興業社は、ガソリンスタンドの経営を含め、産業エネルギー事業を中心に展開しています。
朝はまず、練習場近くのガソリンスタンドに出勤することも多い腰山さん。
鎌田哲也 副課長
「見た目の通り、優しいキャラクターですよ。いつもニコニコしています。ずっとこのままですよ」
スタッフからも愛されています。
男鹿興業社に所属して2年目の腰山さんはこの春、新たに石油製品担当の営業職になりました。
仕事でも数字と向き合い、伸ばしていくために。
先輩の後ろについて回り、顔を売っていきます。
金足農業高校3年の時にはウエイトリフティングで国民体育大会・国体3位入賞を果たした腰山さん。
その後、社会人でも国体に出場し続けていた中で、コロナ禍の影響もあり、ウエイトリフティングの引退を考えていましたが、男鹿興業社から声がかかり、今度はパワーリフティングに本格的に挑戦しました、
大切にしているのは、仕事と競技のバランスです。
腰山さん
「結果を出すことが一番恩返しだと思うので、そういうところでやっぱり練習辛いなと思う時もあるんですけど、そこはきちんと結果を出すためにやらないとなと思ってます」
アマチュア選手にとって大きな目標となっているのが、国民体育大会。
今年、名前が変わった国民スポーツ大会「国スポ」です。
ただ、都道府県持ち回り開催は負担が大きいとして、将来的な国スポの開催方法は見直しの議論も始まります。
腰山さんも議論の行方を見守っています。
腰山さん
「パワーリフティングの全日本選手権で優勝したっていうよりも、国体で優勝したっていうことの方がなんかインパクトあると思うので、自分は国体、今後も続いてほしいなと思うのと、国体に出て優勝したいな、ウエイトリフティングでできなかった国体優勝をパワーリフティングでしたいなという思いがすごく強いので、国体で、秋田県の代表で出て、優勝できたらなって思います」
午後6時。
仕事を終えた腰山さんの姿は、再び練習場にありました。
男鹿市で生まれ育った腰山さん。
ひときわ強い、地元への思いがあります。
腰山さん
「小さい頃はあんなに人がいっぱいいたのに、どんどん人が少なくなってきて町が暗くなってきて、僕のところは特に田舎なのでそれをすごく感じて」
「男鹿でこういう人がいるんだっていうのが少しでも励みになって、男鹿からがんばってるから応援してあげたいなと言われるような選手を目指してやりたいですね」
秋田を背負い戦う、国民スポーツ大会出場へ。
出場権をかけ、16日日曜、東北予選に挑みます。