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【箱根駅伝】早稲田大学 エース・井川龍人「自分に甘くなって…」 「世界」を知る花田勝彦新監督と歩む再起の道

2022年12月29日 6:01
【箱根駅伝】早稲田大学 エース・井川龍人「自分に甘くなって…」 「世界」を知る花田勝彦新監督と歩む再起の道
早稲田大学・井川龍人選手(右)、花田勝彦監督(左)

「早稲田から世界へ」――。渡辺康幸氏、大迫傑選手といった日本を代表する陸上選手を輩出している早稲田大学。そんな早稲田大学の現エースが、大学陸上界トップレベルの実力を持つ4年生の井川龍人選手です。しかし井川選手はこの4年間、その力を十分に発揮できないままでいました。

■「自分に甘くなって」 実力とは裏腹に安定しなかった成績

井川選手は高校時代、インターハイと国体の5000メートルで日本人トップ。鳴り物入りで早稲田大学に入学すると、大きなストライドと切れ味鋭いラストスパートを武器に、好記録を連発していました。

さらに3年生の時には、日本学連の記録会で、学生トップレベルの称号である1万メートル27分台をマーク。「しっかり結果を残して、将来オリンピックにも出たい」と語ります。しかし、そうした輝かしい成績を残しつつも、対抗戦など、重要な試合では持ちタイムに見合う力を発揮できずにいました。

そんな井川選手について、キャプテンの鈴木創士選手は「やるときはやるんですけど。もっとチームの核としてしっかりやらないといけないよねというところがあったので」と話します。

高いポテンシャルを持ちながら、エースとして安定した結果を出すことができないことに、本人も「やらないといけないなとは思いつつも、自分に甘くなって。本気になりきれていないのが続いたのかな」と振り返ります。

■井川選手を変えた花田勝彦新監督の就任

井川選手は1年生の時から箱根路を走り、2年生では1区区間5位と好走しましたが、3年生で出場した98回大会では1区区間16位。気持ちの甘さに呼応するかのように、箱根駅伝でも結果を安定させることができませんでした。

早稲田大学としても、箱根駅伝の総合優勝は2011年の第87回大会が最後。93回大会、94回大会では総合3位になりましたが、ここ11年間総合優勝から遠ざかっていました。

そんな時に訪れた転機が、6月の花田勝彦氏の監督就任でした。

早稲田大学OBでもある花田監督は、現役時代、エースとして8年ぶりの箱根駅伝総合優勝に貢献(69回大会)。さらに日本代表としてアトランタ五輪、シドニー五輪と2度オリンピックに出場し、まさに「早稲田から世界へ」を体現した選手でした。

「私から見れば、あれだけの能力がある選手がちょっとくすぶっている感じはありました。本人にも自分がこんなもんじゃないというのは分かってほしかったので」と語る花田監督。就任後、井川選手に対して"基礎の徹底"を指導します。練習後のケアやオフの過ごし方、食事の取り方まで。継続する力の弱さを克服したいと語る井川選手に対し、普段の生活から見つめ直すことを提案したのです。

指導の効果は徐々に表れました。「しっかり考えてポイント練習に挑むようになりました。前日くらいから心構えとか、早めに起きるようにしたり。4年間で一番走り込んでいるんじゃないかな」と井川選手。ケガなく練習を積めるようになり、強度の高い練習にも対応できるようになりました。

この成長に、花田監督も「(井川選手は)今までは本当に走ることだけしかやっていなかったので。関連するいろいろなことが大事だなと本人も理解し始めて、そこはすごい変化」だと話しています。

■予選会日本選手2位 支えになった ある「言葉」

迎えた箱根駅伝予選会。花田監督の熱い声かけも響く中、井川選手は日本選手トップ集団をひた走ります。

そしてラストで明治大学の富田峻平選手を抜き、なんと日本選手2位でゴール。早稲田大学は4位と、エースとしての走りで箱根駅伝出場に貢献しました。

花田監督も「やったことイコール、ちゃんと出ているから良かった」と満足げな様子。

井川選手は、ここまで頑張れた理由を「(花田監督が)たびたび『世界に行けるから』と声をかけてくれたのが大きいかもしれないです」と振り返ります。

「残されたレースはあと1回なので、エースとして結果を出して、それ(世界)に向けた1歩目になったら」花田監督と同じ世界の舞台へ。

箱根駅伝でも、エースとしての走りに注目です。

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