東日本大震災から12年 福島出身のラグビー元日本代表・大野均が感じた危機感と希望「子どもたちが元気に過ごすこと」

震災のあった2011年は、4年に1度のラグビーワールドカップ(以下、W杯)が開催された年でした。あれから12年、2023年は再び巡ってきたW杯イヤーです。
3大会分の時を経て、大野さんの目に震災復興はどのように映っているのでしょうか。
■4年に1度の3月を迎えて危機感「風化していると感じます」
2011年3月当時、大野さんは現役の日本代表選手。バリバリのトップリーガーでしたが、震災直後、味の素スタジアム(東京・調布)に被災された方が避難していると聞くや否や励ましに向かいました。
その後も、4月の復興支援イベント「RUGBY:FOR ALL ニッポンのために!」に参加。6月には、東京・銀座で行われた慈善イベントに参加し、誰より目立つ大きな体で銀座を歩く人々に募金への協力を呼び掛けるなど、行動し続けました。
“少しでも助けになれたら”、そんな思いだった大野さんですが、被災者の方と接すると、まったく違う感覚を持つようになったそうです。
大野「避難生活をされている方たちを訪ねたら、気持ちが前を向いていると感じたんですよね。その姿を見て、サポートをしたいという気持ちではなく、一緒に前に進みたいという気持ちになりました。同じ方向を向いて前に進みたいと」
みんなで同じ方向を向いて前進する、ラグビー選手ならではの感性で、被災者の方とスクラムを組もうと決めたと言います。
あれから12年。常に震災復興を念頭に行動し続けてきた大野さんの目に、地元・福島の姿はどのように映っているのでしょうか。
「うーん」しばらく考えた後、大野さんはこんなエピソードを話してくれました。
大野「最近、福島第一原発の敷地内に立ち入る機会がありました。作業の様子を聞いたり、周辺の町の立ち入り禁止区域をバスで見て回ったり」
短時間であれば防護服がなくとも原子炉建屋の近くに行けるなど、状況の改善も体験したという 大野さん。しかし、関係者から聞いた言葉に衝撃を受けたといいます。「『まだ解体に向けて重要な部分にはたどり着けていない』と。ショックを受けました」
年々減っていく震災復興のニュースと、目の当たりにした現実。地元・福島の実情と世間の感覚とのズレが大きくなっていると、大野さんは危機感をあらわにします。「福島の人間という立場からしますと、震災は風化していると感じます」