東京五輪2冠も口にした"後悔" 体操・橋本大輝「うち農家なので」大会副賞の米を活用してチームで"着地強化"
■初出場で2冠も…「東京五輪の一番の後悔」
橋本選手は当時高校生ながら、2019年の世界選手権で初の日本代表入り。美しい体線とダイナミックな演技が持ち味で高得点を量産し、鮮烈な世界デビューを果たしました。
2021年には国内選考会をトップで通過し、東京五輪に出場。団体総合ではわずか『0.103差』の銀メダルで涙をのみましたが、その後行われた個人総合決勝では、並み居る強豪を抑え史上最年少で金メダルを獲得。さらに種目別鉄棒でも金メダルを獲得し、初出場の五輪で金メダル2つ、銀メダル1つを手にしました。
レジェンド・内村航平選手の連覇のあとに個人総合のチャンピオンとなった橋本選手。栄光の瞬間とも思えるシーンですが、意外にも後悔を口にします。
橋本「東京五輪は個人総合だけ(鉄棒の着地が)動いて、その動いた部分が一番(映像で)使われるので、ちょっと嫌だなって。東京五輪の一番の後悔はそこの着地」
橋本選手が語る着地シーンの減点は-0.1相当。それでも「自分の甘さが出た試合かなと思っている」と振り返り、その後の着地の取り組みでは「どの大会でも最後の着地まで気を抜かない、最後の着地を決め切って勝つということも考えて、ひとつでも多くの試合で着地まで狙って決めるという練習が必要かなと思います」と、より意識を高めるようになったといいます。
■大会副賞を部に寄付してチームで着地強化
こだわりの着地は、チームメートも巻き込みながら強化していきました。
順天堂大学時代には週に1度、部全体の着地止め大会を行うことになりました。この大会の名前は『Hashimoto杯』。
橋本選手は国内大会の副賞でお米パックを獲得しましたが、「うち農家なので、みんなに配ろうと思って。ただ渡すのではなく、ご褒美という形でやった方が良いと思って、着地止めの景品になりました」と実家が米農家を営んでいることから、副賞を賞品として部に寄付したことで、大会名称に橋本選手の名前が使われるようになったということです。
大会を作るにあたって、ルール作りにも参加した橋本選手。「やるなら面白い方が良いなと思って、色んな人と相談して取り入れながらルールを作っていました」と語ります。
こうした取り組みで「始めた頃はあまり(着地が)止まらなかった。回数を重ねるごとに色々みんな工夫をして、着地の成果にも表れましたし、普段の練習でも止まる回数が増えた」と徐々に成長を感じるとともに、「普段からチーム力を高める練習としても良い練習」と振り返りました。
努力は実を結び、2023年の世界選手権の団体決勝では、優勝がかかった最終種目の鉄棒、最後の伸身新月面宙返り下りの着地をピタリと止め、世界選手権で日本に8年ぶりの金メダルをもたらしました。
さらに個人総合決勝では、着地を止めるのが難しいとされる跳馬で大技『ロペス』の着地をピタリと止めると、最終種目で体力が削られる中迎えた鉄棒でも着地では1歩も動かず。自身初の世界選手権連覇を果たしました。
■「着地を決めて文句を言わせない」
橋本選手は「アテネ五輪であったり、リオ五輪、あの試合を見ているとやっぱり団体金メダルが欲しいと思うので、みんなで18演技つないで、一番いい色をとりたいなって思います」と語り、着地についても「アテネ五輪の冨田洋之さん、リオ五輪の内村航平さんは最後で着地を決めて勝っているので、それを達成して文句を言わせない演技にしたいと思います」と意気込みました。