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プロ野球解説者・江本孟紀「車は男の夢」 憧れの愛車と球界レジェンドとの逸話を明かす

2023年6月17日 22:00
プロ野球解説者・江本孟紀「車は男の夢」 憧れの愛車と球界レジェンドとの逸話を明かす
これまでの愛車を語ったプロ野球解説者・江本孟紀さん
プロ野球解説者の江本孟紀さん(75)が、歴代の愛車と共にこれまでの人生を振り返りました。

江本さんは、東映フライヤーズ、南海ホークス、阪神タイガースのプロ野球3球団で活躍。また、“エモやん節”とも言える歯に衣着せぬ発言でも話題になりました。引退後は、プロ野球解説だけにとどまらず、作家や政治家、タレントなど幅広い分野で活躍しています。

■プロ野球選手になって初の愛車

江本さんの初めての愛車は、1968年に登場した『三菱 ニューコルト1200』。日本の高速道路時代の到来に合わせた動力性能と共に、居住性や安全性に重点を置き開発されました。角型のヘッドランプを備えた立体感あふれるグリル周りや、横長のリアコンビネーションランプを備え、安定感のあるリアビューが特長的でした。

球界のスター・長嶋茂雄さんに憧れていたという江本さんは、1971年、24歳の年にプロ野球・東映フライヤーズに投手として入団。そして、「東映に入団して、すぐ中古で買いました。(車に詳しい)知り合いがいて、どこからか持ってきてくれたんです。(車への)こだわりは全くありませんでした。走ればいい」と振り返りました。

江本さんは、半世紀前の愛車を見て、「いま見ると、ニューコルトいいなあ。ベンチシートがいいんですよ」と、お気に入りのポイントを明かしました。

■プロ野球界レジェンドたちとの思い出

東映フライヤーズの先輩選手・張本勲さんとの思い出について、江本さんは「キャンプが終わった日に、(自分は)若手だから玄関で大ボスの張本さんの見送りをしていたら、大きい車の両側に女の子が乗っていた。それを見て憧れましたもんね。スターになったら、これだよ! と思いました」と、球界でスターになることを夢見たそうです。

また、南海ホークスにトレードされた時のエピソードについて「(南海には)監督で、打順が4番で、キャッチャーの野村克也という大スターがいた。無名だった自分が、トレード1年目で16勝を達成したから、“野村がスゴい”という話になっているんですけど、あれは僕の力がほとんどで」と、笑みを浮かべながら“エモやん節”を披露しました。

実は、その活躍の裏には、野村さんとの思い出があったそうで、「この人は、言葉がうまい。野村さんに“お前の球は 俺が受けたら二桁は勝つよ だからエース番号を付けとけ”と、初日に言われた。感動して震えがきました。それだけで16勝した。野村さんが出すサインに首を振ったことはなかった。言うとおりに投げた」と、野村さんをたたえました。

■阪神タイガース 電撃退団時の愛車

続いて、登場した愛車は『BMW 5シリーズ』。デザイン界の巨匠、ポール・ブラックがデザインし、1960年代にBMWが急成長する、きっかけとなった車種『ノイエ・クラッセ』の流れを引き継いで登場しました。1973年に日本で発売された5シリーズには、すでに4灯ヘッドライトを採用した印象的なキドニー・グリルなど、その後のアッパーミドルクラスのセダンを特徴付ける要素が全てそろっていました。

江本さんは、愛車の好きなポイントについて「グリルの角度や、BMWのエンブレムがいいんですよ。当時は僕ら“ベンベ(BMWのドイツ語読み)”と呼んでいた」と振り返りました。

BMWが愛車だった頃、阪神タイガースに在籍していた江本さんは、1981年のシーズン途中で電撃退団。経緯について、江本さんは「あるゲームの後半で、(阪神が)1点リードしているけど、(相手チームの)走者が出ている状況で、交代するのか、続投するのか、勝負するのか、ベンチが采配する場面だったけど指示がこなかった。1球はずして様子を見ようと思ったら、(打者が)飛びついて打って同点にされた。この時だけでなく、元々そういうことがずっと続いていた」と、首脳陣に疑念を持っていたそうです。

さらに、当時話題となった江本さんの発言『ベンチがアホやから野球ができひん』についてもコメント。「僕は結構、マスコミにサービスしていた。試合後、ロッカールームに入るときに、記者に面白いことを言ってあげようと、“ベンチ アホやろ?”とコメントした。そしたら、(マスコミ報道が)大騒ぎとなった。球団に呼ばれ事情を話すと、“10日ほど休んでくれるか?”と言われたので、“10日休んだら、もう投げられまへんで。それなら 辞めましょうか”と答えた。34歳で若くはなかった」と、現役引退の経緯を明かしました。

退団後、江本さんは「給料も辞めたその日で終わりですから、大阪にいてもやることがない。子供は幼稚園くらいだった。人(家族)の迷惑を考えていなかった。BMWに家財道具を乗せて、妻の実家に身を寄せた」と、長年暮らした関西圏を家族で離れたそうです。

■政界を目指した時期の愛車

最後に登場した愛車は、『リンカーン タウンカー』。アメリカの自動車メーカー・フォードの高級車部門を代表するベストセラーモデル、リンカーンの4ドアセダンで、江本さんが参議院選挙に出馬する際の愛車でした。

政界を目指した時には、憧れのレジェンドが駆けつけてくれたそうで、「神様のように思っている長嶋茂雄さんが監督時代に、選挙前のパーティーに来てくれた。長嶋さんが来てくれて、人がワ~! と道を全部(花道のように)開けて、あのシーンはちょっと経験できないですね」と、当時の光景を回顧。江本さんはこの時、長嶋さんから言葉をかけられたそうで、「“今日は何なの? (選挙)出るの?”と、声をかけられた。(会場の)皆が大喜びしていた」と、多くの人から愛される球界のスターの偉大さを振り返りました。

かつての愛車、リンカーンを選んだ理由について江本さんは、「子供の頃からアメリカに興味があって、アメリカンドリームとか、アメリカの大きい車に憧れていた」と明かしました。かつての愛車のハンドルを握った江本さんは、「地に着いている感じではなくて、この浮いている感じが、気持ちいいっす。最高です」と、頬を緩めて語りました。

最後に、江本さんにとって車とは?”と質問すると「夢でしょう男の!」と力強く言い切りました。

(6月17日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)