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麻丘めぐみ、“わたしの愛車は四角ぎみ” アイドル・俳優人生を支えた愛車

2023年5月20日 22:00
麻丘めぐみ、“わたしの愛車は四角ぎみ” アイドル・俳優人生を支えた愛車
これまでの愛車を語った麻丘めぐみさん
俳優で歌手の麻丘めぐみさん(67)が、歴代の愛車と共にこれまでの人生を振り返りました。

麻丘さんは1955年10月11日生まれ。1972年にアイドル歌手としてデビュー。 翌年にリリースした楽曲『わたしの彼は左きき』は大ヒットし、社会現象になりました。アイドルは5年で引退したものの、1983年に俳優として芸能界に復帰。現在はドラマや舞台などで活躍しています。

麻丘さんは開口一番、「車は大好きなんですよ。乗りたい車は全部乗りました。本当は18歳で自動車免許を取りたかったんですけど、当時は“左きき”を歌ってた頃で(取れなかった)。所属事務所が変わった20歳の時にやっと取れました」と明かしました。

■免許取り立て 20歳で出会った初の愛車

麻丘さんの初めての愛車は、免許をとったばかりの20歳の頃に購入した『フォルクスワーゲン ゴルフ』。1974年にビートルの後継者として登場。世界標準となる前輪駆動でハッチバックの優れたパッケージングを創出。エポックメーキングな小型乗用車として、これ以降に登場する世界の小型車に大きな影響を与えました。

初の愛車に、ゴルフのマニュアル車を選んだ麻丘さんは、「四角いのが好きなの。正面の顔がかわいいでしょ」とデザインを絶賛。ゴルフのデザインは、イタリアを代表するカーデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロさんが手がけました。

しかし、運転性能については「エンジン(の知識)とかは疎かったので、乗ってみたらハンドルが固くて手はつる、(クラッチワークで)足もつる、すごい大変でした」と、初愛車の苦い思い出を明かしました。

約45年ぶりに愛車のハンドルを握った麻丘さんは、「懐かしい~。当時は、ただただ運転をしたかったから。友達が蓼科に別荘を持っていて、ちょっと休みがあると夜中に出発してよく行っていました。母は(車の)運転を反対していましたが、(仕事が忙しいから)せめて車だけは、唯一の私の趣味だったので」と、車の運転でリラックスしていたそうです。

3歳で子役として芸能活動を始めたという麻丘さん。きっかけについて、「4つ上の姉が積極的な人で、勝手に児童劇団に入ってしまった。母が(姉の仕事)現場に、小さかった私も連れて行って、“じゃあ妹さんも”と。何の志もなく気がついたら子役になっていました」と語りました。

その後、歌手を目指すことになった麻丘さんの姉は、昭和の歌謡界を代表する作曲家・遠藤実さんの内弟子になったそうで…「父が“一緒に行って応援した方がいいよ”と言って、姉のサポートのために母と2人で上京しました。それで、私も“お姉ちゃんが(歌手を)やるためには稼がなきゃ”と、『セブンティーン』とか雑誌のモデルをやりました」と、姉のために仕事を始めたそうです。

その後、麻丘さんに思いもかけない話が舞い込みます。「(私にも)“歌わないか?”と言う話があったんですけど、レッスンをしたこともないからお断りしていた。(しかし)姉のレコード会社の偉い人から、“デビューしなさい!”と言われ、断ってしまうと、姉がレコードを出せないかもしれないと思い、1972年に楽曲『芽ばえ』でデビューしたんです」と、アイドル活動のきっかけを明かしました。

■違和感を覚えた『わたしの彼は左きき』

そして、デビューの翌年に『わたしの彼は左きき』をリリース。しかし当時、麻丘さんはある違和感を覚えたそうです。「まだ私たちの時代は、“左きき”が良しとされていなくて、親から“右ききに直しなさい”という時代だった。だから最初に歌詞を見たときに、“左きき”ってテレビで歌えるのかしら」と思ったそうです。

そんな、麻丘さんの心配をよそに『わたしの彼は左きき』は大ヒット。“左きき”ブームまでに発展したそうです。「デパートで、ハサミとか調理用品の“左きき”を取り扱うコーナーができて社会現象になった」と振り返りました。

■麻丘めぐみ「自分の足で自分の人生を」

1977年、デビューから5年後に麻丘さんは、結婚を機にアイドル歌手を引退。当時の思いについて、麻丘さんは「歌わせてもらってヒットしたのも、スタッフや、作曲家の先生、運に恵まれていたので、“自分の足で自分の人生を歩いてみたい”という思いがずっとあったんです。それで、結婚をしたら(芸能界を)辞めると決めていたので」と、引退の理由を明かしました。

■サラリーマンの妻 維持費を考慮した愛車選び

そして、芸能界を離れた麻丘さんが購入した愛車は、1977年に登場した2代目『トヨタ セリカ』。スタイリングは、直線を取り入れたデザインに変更。当時は排ガス規制が強化された時代でしたが、セリカの象徴だったDOHCエンジンに改良を加え搭載を継続しました。

セリカを選んだ理由について、麻丘さんは「国産車に乗ったことがなかったのと、1回はスポーツタイプに乗ってみたいなと思った。その時に(セリカが)格好いいと思った。サラリーマンの妻で、国産車の方が維持費が大丈夫かなと。自分が働いたお金ではなかったので」と、家計を考えた車選びだったと明かしました。

しかし、そんな思いとは裏腹に「うちの母からは、後部座席が狭くてひんしゅくでしたね。(当時の)女性が選ぶ車ではなかった。私、ちょっと変なんです」と明かした麻丘さん。かつての愛車の乗り心地について、「(エンジンの)音がいいですね!」とスポーツカーの加速感に驚きを見せました。

■麻丘めぐみ「娘がいたので…」 俳優として芸能界復帰

1983年に俳優として芸能界に復帰した麻丘さん。理由について、「まさか自分がまた戻るとは、考えていなかったんですけど、27歳の時に離婚をして。当時はシングルマザーなんて言葉はなかったけど娘がいたので、やるんだったら“お芝居”がいいなと思って」と、子育てするための復帰だったと明かしました。

■軽自動車を愛車に 初のプロデュース業 

麻丘さんが44歳の時に購入した愛車は、1998年登場の3代目『スズキ ジムニー』。それまでの角張ったデザインから、丸みを帯びたものに変更。フレームやサスペンションは、新たな衝撃吸収構造となり、オンロードの操縦安定性と、オフロードでの走破性を向上させました。軽自動車でありながら、水冷直列3気筒DOHCインタークーラーターボエンジンを搭載し、ハイパワーを実現しました。

ジムニーを選んだ理由について、麻丘さんは「乗っていない車を考えた時に、“オフロード四駆車”に乗っていないなと、(しかもジムニーは)四角い車じゃないですか! 小回り利いて荷物も載る、車高が高くて見晴らしがいい。やっぱり、これ(後方装着のスペアタイヤ)が格好いい」と、お気に入りのポイントを明かしました。

また、ジムニーを所有した頃は、麻丘さんが演劇を初プロデュースした時期だったそうで、「日々、大変でした。(演劇に)出る人はやった方がいいと思う。スタッフをやると自分が現場に行った時に、すごく有りがたさが分かる。お弁当ひとつでも届くまでの過程や、スタッフの気持ち、役者さんに良い芝居をしてもらうためには? など勉強になりました」と、裏方の経験が俳優活動にも生きていると明かしました。

さらに、麻丘さんは「東京ヴォードヴィルショーや、劇団東京乾電池が、稽古場を貸してくれて協力していただいた。柄本明さんや、ベンガルさんから、“本当に芝居が好きなんだね”と言われた時は本当にうれしくて涙が出ました」と、役者の先輩からの助けに感謝しました。

■父親との思い出が詰まった車

最後に登場したのは、麻丘さんの幼少時の思い出が詰まった『ダイハツ ミゼット』。1957年に登場した軽三輪自動車です。小回りが利き、取り扱いに便利、かつ経済的をコンセプトに開発され、狭い路地でも入って行ける機動力が、小口配送業などを中心に人気となりました。

ミゼットを目にした麻丘さんは、「うわー、ちっちゃい! 体が大きい父が乗ると、ボヨ~ンと車体(運転席側)が沈んだことが、今でも脳裏に焼き付いています」と思い出を振り返りました。

助手席で、ミゼットの乗り心地を味わった麻丘さんは、その独特な音と振動に、「すごい! 感無量!」と感情を高ぶらせました。最後に、麻丘さんにとって車とは? と質問すると「青春です!」と即答。続けて麻丘さんは、「10代でできなかったことを、車によって違う道が開けたり、違う景色を見たり本当に楽しかった。苦しい時も車の中で泣いたり、青春そのものですね」と語りました。

(5月20日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)