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“ドリカム”中村正人 心に響いた吉田美和の言葉 「まさ君は、来年ブレイクする」

2022年8月27日 21:15
 “ドリカム”中村正人 心に響いた吉田美和の言葉 「まさ君は、来年ブレイクする」
DREAMS COME TRUE 中村正人さん
DREAMS COME TRUE中村正人さんにインタビュー。1989年にCDデビューを果たし、平成の音楽シーンをけん引してきた“ドリカム中村正人”を表す“4つのキーワード”を挙げていただきました。人生最大だっという仕事から、CDパッケージへのこだわり、そしてボーカル・吉田美和さんからかけられた言葉などを語ってくれました。

■DREAMS COME TRUE・中村正人を表す“4つのピース”は 『SONIC』 『CDパッケージ』 『DWL』 『俺 ブレイク』

ドリカムが8月17日に発売した新曲『UP ON THE GREEN HILL from Sonic the Hedgehog Green Hill Zone – MASADO and MIWASCO Version -』は、映画『ソニック・ザ・ムービー/ソニック VS ナックルズ』(現在公開中)の日本版主題歌となっています。実は中村さん、1991年に、SEGAが発売した『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』というゲームソフトのシリーズ1と2の音楽を制作しました。一つ目のピースは、そのゲーム名をピックアップ。

――1つ目のピース【SONIC】

『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』というゲームは、僕にとって本当に人生最大のもので、デビュー直後にこの仕事をさせてもらって、世界中に俺の音楽を届けたいと思っていたんだけど、まさにソニック一番大きなおっきな夢がかなってしまったのね。“映画みたいな音楽にしたい”と思って作った音楽が、実際に映画になって、この30年間というものの重みと、それからソニックに対する感謝と。それから、もう60も過ぎると、“ただただうれしい”という気持ちが分からなくなることがあるんだけど、映画を観て、俺の曲がかかって、クレジットにMASATO NAKAMURAって名前を見たときに、本当にうれしかったね。

■令和時代で仕掛けるDREAMS COME TRUEの新たな試み

今回発売したCDのパッケージは『ゲームボード仕様』。ドリカムのバーチャルキャラクターである『MASADO』と『MIWASCO』による“すごろく形式”のボードゲームが付属されています。

――2つ目のピース【CDパッケージ】

“CDパッケージは面白くて楽しいよ”っていう提案を始めたので。今までCDだと、やっぱり価格が決まっていて、いっぱい売れればやれることはいっぱいあるんだけど。レコード会社のみなさんにも協力いただいて、クラウドファンディングじゃないけど、買っていただけるという前提で、我々が届けたい音楽商品を作るという作業は、すごい楽しいなと思っている。

――これまでに発売したCDの中で、印象に残っているパッケージはありますか?

最初にアメリカでLPジャケット(というアナログレコードジャケットの)サイズの、CDジャケットを作った時は「うわぁ~!」と思った。当時は平成元年。ドリカムって、アナログレコードで(曲を)出さないアーティストだったから、CDでしか作品を発表してないんだよね。アナログジャケットにすごく憧れていたから、そのアナログジャケットサイズを作ったときは、すごい感動した。

――3つ目のピース【DWL】

これはライブ『ドリカムワンダーランド』ですね。来年、4年に一回のライブが来ます。このコロナという、我々にとっては、暗黒の時代。歌を歌っちゃいけない、声を出しちゃいけない。これミュージシャンにとっては“死”を意味するものなので。そんな中で何とかサバイバルしてきたワンダーランドなので、いろいろな感染対策や、コロナに限らず、お客さまの安全を守る…天候もそうだよね。お客さまが安心してライブに来られて、しかも2時間なり3時間、何もかも忘れてドリカムの歌とともに、ぶっ飛べるようなそういうイベント。このコロナがあったからこそ、歴史に残るようなイベントにしたいです。

■吉田美和が呪文のように唱える“中村正人ブレイク説”

――4つ目のピース【俺 ブレイク】

去年から吉田美和が、「まさ君は、来年ブレイクする」って呪文のように言ってるわけよ。俺は“俺がブレイクする”なんてことは、過去40年近く、1回も考えたことがなかったのね。吉田は随分、確信を持って、でも楽しげに言っているけど、その言葉が俺の中で、すごく響いちゃって。実は吉田が言っている本当の意味は、これからドリカムがもっと皆さんに近づけるようになるためには、「今までサボっていた中村正人がブレイクするしかないんじゃないの?」って捉えちゃったわけ。今までは「吉田のため」とかなんとか言ってさ、吉田美和頼りの33年間だったわけよ。それって、“なんで俺が吉田美和とバンドをやろうか”という根本問題に立ち向かわなきゃならないわけよ。俺は、本当は自分が歌を歌ってセンターに立ちたかったんだよ。それでずっとやってきたけど、自分がダメだって気がついてから、吉田美和を見つけて、吉田美和をセンターに立たせて、俺の夢をかなえてきてもらったわけじゃん。

――その思いは、吉田美和さんにお話しされたんですか?

言った言った。「そんな深い意味ない」って言っていたけどね。でも俺自身はそう捉えた。それはもう俺の根本的な問題を、子供の時から持ってる。“俺って何だろう” “俺が何ができるんだろう”っていう自分との戦いよね。その戦いを再び突きつけられるという。もう60過ぎてきついね!(笑)

――今見つかっている答えはあるんですか?

やっぱり俺がセンターで歌うことじゃない? (笑)俺が血湧き肉躍るライブが自分でできて、ドームが満員になれば、必然的にドリカムもまた浮上するんじゃない? 吉田は問題ないから。