三遊亭円楽さん72歳 死去 入門時から将来を嘱望
三遊亭円楽さん
演芸番組『笑点』などで活躍した落語家の三遊亭円楽さんが、肺がんのため30日に亡くなりました。72歳でした。
円楽さんは1970年、青山学院大学在学中に師匠・五代目三遊亭圓楽の目に留まり、落語の世界に誘われ入門。六代目三遊亭圓生より『楽太郎』を拝命しました。
入門時から将来を嘱望(しょくぼう)されていた円楽さんは、1977年、27歳にして、『笑点』の大喜利レギュラーメンバーに起用され、そのキャラクターは大喜利に欠かせない存在に。さらに数多くのテレビ・ラジオに出演、精力的に講演活動も行いました。
1979年には、放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。そして1981年、入門から11年目で、寄席で一番最後に出る資格を持ち、弟子を取ることができる“真打”に昇進。その後、2010年、60歳の時に六代目三遊亭円楽を襲名しました。
江戸落語と上方落語の距離を縮め、また協会や一門という派閥を超えた落語家の交流を目指した円楽さんは、福岡市の『博多天神落語まつり』をはじめ、数々の落語イベントをプロデュース。2022年には東西の人気落語家を集めた『江戸東京落語まつり』を実現させるなど、最後まで落語界の発展に力を尽くしました。
円楽さんは1970年、青山学院大学在学中に師匠・五代目三遊亭圓楽の目に留まり、落語の世界に誘われ入門。六代目三遊亭圓生より『楽太郎』を拝命しました。
入門時から将来を嘱望(しょくぼう)されていた円楽さんは、1977年、27歳にして、『笑点』の大喜利レギュラーメンバーに起用され、そのキャラクターは大喜利に欠かせない存在に。さらに数多くのテレビ・ラジオに出演、精力的に講演活動も行いました。
1979年には、放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。そして1981年、入門から11年目で、寄席で一番最後に出る資格を持ち、弟子を取ることができる“真打”に昇進。その後、2010年、60歳の時に六代目三遊亭円楽を襲名しました。
江戸落語と上方落語の距離を縮め、また協会や一門という派閥を超えた落語家の交流を目指した円楽さんは、福岡市の『博多天神落語まつり』をはじめ、数々の落語イベントをプロデュース。2022年には東西の人気落語家を集めた『江戸東京落語まつり』を実現させるなど、最後まで落語界の発展に力を尽くしました。