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元宝塚トップ・和央ようか「最高のキラキラした日々を」……退団控える真風涼帆、寿つかさにエール

2023年3月24日 20:10
元宝塚トップ・和央ようか「最高のキラキラした日々を」……退団控える真風涼帆、寿つかさにエール
宝塚歌劇団・宙組トップスターの和央ようかさん。2006年の退団公演はけがを抱える中で壮絶な舞台期間だったという。その公演で初舞台を踏んだ現在のトップスター、そして長く同じ時を過ごした現在の宙組組長が退団を控える。和央さんは「涙と笑いに包まれた最高のキラキラした日々を過ごしてほしい」と退団する2人にエール。熱烈な宝塚ファンで日本テレビアナウンサーの安藤翔アナ(妻が元タカラジェンヌ)、中島芽生アナ(宝塚音楽学校を4回受験)の2人が迫った。

■当時の宙組生に足を向けて寝られない

<和央ようか・プロフィール>
東京生まれ大阪育ち。1988年に74期生として入団後、2000年、宙組の2代目トップスターに就任。6年以上のトップ在任期間は平成以降の最長記録。現在はハワイ、ニューヨークを拠点に日本と行き来しながら舞台、モデルと活躍の場を広げている。

(安藤アナ):公演中に起きたハプニングについてお聞きします。こんなことがあった、それをどう乗り越えたかという事件はありますか。

私が乗り越えたというより一緒にいた組子が乗り越えた事件ですが。退団公演の『NEVER SAY GOODBYE』。その1幕のラストに『ONE HEART』という曲がありました。その曲は私と組子ほぼ全員が一緒にコーラスするんです。私が歌って、その後にみんなが(同じフレーズを)歌う。ある日、歌詞を間違えたんです。

すぐに気付いたんですけど、元に戻したら間違えたことがお客様にバレてしまうと思って歌詞を(アドリブで)作り始めたら、永遠に作らないとつじつまが合わなくなって。それで1曲ほぼ全部(歌詞を)作りました。

組子は私が何を歌うか分からない。でも完璧に皆さんついてきてくださった。しかも『ONE HEART』は盆(回転舞台)が回っている場面でいろんなセットがあって動きもややこしい。みんな私ばかり見ている場合ではなかったはずなんですけど、その日は私のために必死で間違わずに、歌詞も完璧に歌ってくださった。それで緞帳が下りた瞬間に後ろを振り返って「すいませんでした!」と言って皆さんが爆笑して……。でも「『ONE HEART』だったよね?」と(笑)。その時、安藤アナの奥様もいらっしゃいました。

(安藤アナ):はい。妻の花里まなは91期で当時は研2(入団2年目)ですかね。本当にたかこさん(和央さん)の歌声を聞いて付いていくのに必死だったけれど、いい思い出と言っていました。

あの日以来、あの時の宙組の方々には足を向けて寝られません。本当に素晴らしかったです。

■けがの中での壮絶な退団公演

(中島アナ):その公演時、直前の公演で大けがをされていた。その中での退団公演というのは大変だったと思いますが、いかがでしょうか

大変でしたけれど、組子さんが本当に支えてくれました。私の具合が悪かった時に近くにいる人の肩がすっと出てくるんですよ。「いつでも持って」のように。本当に温かくて。退団公演は一大イベントで、華やかですけれどやることも多い。ただ私にとってはあの当時、「今日生きて帰れるかな」ということしかなかった感じでした。

ファンの皆様も心配だったと思いますが、本当に温かかった。ファンの皆様と組子、スタッフの方々にありがとうという気持ち。「今日一日、無事で終えますように」という本当にシンプルに生きられたので、つらかったですけれど、ああいう貴重な体験はなかなか人生においてできることじゃないと感謝しています。

(中島アナ):生きて帰れるかというほど、状況は厳しいものだったんですね。その中で毎日舞台に立ち続けるというのはどんな思いなんでしょう。

具合が悪すぎて意識がないというか全く(周りが)見えない時もありました。私も長い間トップでさせていただきましたし、この退団公演に出る前、実は自分が万全でないのに出るのは申し訳ないからそのまま辞めたいなと思ったんです。

だけど入院中にファンの方からいただく手紙を毎日ずっと読んでるんですけど、読み終わらない。私は終わったとしても、ファンは最後の私を見ないとファン生活が終わらないから、何があっても出なきゃと思いました。それが本当に生きる源だったので、ファンの方をさらに大好きになった公演ですね。

(中島アナ):(けがで)辞めることを考えていらしたんですね。

もう無理だと思ったので。周りにも迷惑をかけるし、実際かけたと思います。本当に皆さん温かくしてくださって。特別なアドレナリンが出ますよね。本来できないことができる。

■「感無量でした」再演の“ネバセイ”

(安藤アナ):そんな思い出の作品が時を経て最近、再演されました。ご覧になりましたか。

(夫の)フランク・ワイルドホーン氏が作曲を担当しているんですが、東京公演の千秋楽に彼と一緒に観に行かせていただきました。

(中島アナ):ご夫婦が出会うきっかけにもなった作品。再演はどんな思いでしたか。

桜の一番美しい時期で宝塚を去る、そして新しく宝塚に入ったたくさんの生命が芽生える時の初舞台公演で退団したいなと思ったことが、自分の退団を決めたきっかけでもありました。その時の公演で初舞台だった真風(涼帆)さんがトップで(同じ作品を)やってくださったことは本当に感慨深く、退団を決めた後の自分も思い出しましたし、感無量でした。

「いい作品だな」と心から楽しませていただきました。宙組のコーラスが素晴らしくて。メンバーは違いますけれど、私の時もきっと素晴らしかった。私はこういう素晴らしい方々に支えられてきたんだなと思って、当時の宙組の皆様に本当にありがとうと思いました。(演出家の)小池(修一郎)先生にも言いました。「自分で言ってあげて」と言われましたけれども(笑)。

(安藤アナ):そして和央さんとともに歩みを進めた、今の宙組組長の寿つかささんも退団を発表されました。

連絡もらった時に悲しかったです。彼女が入団1年目の雪組時代から一緒で、彼女が去るのは自分の時の宝塚がまた一つなくなるような気がしてもう何とも寂しい。たくさんの思い出があります。

(安藤アナ):真風さん、寿さんも次の作品で退団ということになりました。どんな思いで残りの宙組を見たいと思いますか。

退団する方みんなに言うんですが、宝塚生活はやっぱり楽しくて特別。最後まで「最高、幸せ」と思ってやってほしいな。私たちはファンの立場で見せていただけたらいいかなと。健康で涙と笑いに包まれた最高のキラキラした日々を過ごしてほしいなと思います。

(安藤アナ):まさに和央さん自身がそうした日々でしたか。

そうです。私はけがの中だったので少し違いましたけれど「Precious Time」だったと思います。観に行けたらいいなと思いますね。

(『アプレジェンヌ〜日テレ大劇場へようこそ〜(和央ようか編)』より抜粋・再構成)

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アプレジェンヌ』は日テレNE WS24制作のシリーズ企画。元タカラジェンヌをお招きし、日本テレビアナウンサーで熱烈な宝塚ファンである、安藤翔アナ(妻が元タカラジェンヌ)、中島芽生アナ(宝塚音楽学校を4回受験)の2人が、ゲストの宝塚時代・退団後の生き方に迫ります。

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