岩本乃蒼アナ、学び直しのため大学院へ 決断の背景にあった葛藤
■コロナ禍の不安「このままでいいのかな…」
『news zero』のキャスターを5年半務めた岩本アナ。多くの現場を自ら取材しニュースを伝えてきましたが「取材に行けば行くほど、ニュース原稿を読めば読むほど、その背景やその後どうなったのか、多くの情報を伝えるなかで納得するまで学びきれていないことがある自分が伝えていていいのか、と自問していました」と、伝え手ならではの悩みを抱えてきたといいます。
さらに新型コロナの影響で直接取材に行くことができない時期には不安もあったそうで「それまで全力で臨めていた仕事ができない時間が長く続くことで、“このままでいいのかな…”という悩みや不安がここ2~3年ありました。特に20代の時がむしゃらに仕事をしていた分、時間はあるはずなのに経験が積めないことで“新たな頑張り方を探さねば”と考える時間になりました」と、学び直しを決断するまでの葛藤を振り返りました。
■なぜ防災を学ぶのか 入社以来感じていた「防災劣等生」
大学院では防災について学ぶ岩本アナ。なぜそのテーマを選んだかを聞くと、「防災劣等生」だったというコンプレックスがあるといいます。
災害報道の在り方が大きく変わった東日本大震災の時、岩本アナはまだ大学生。入社後、震災の時にすでに働いていた先輩たちとの間に大きな壁を感じてきたそうです。「あの時すでに伝え手だった方と比べて、“命を守る報道への危機感が違う”と思われることや、“自分は防災劣等生なんだ”と後ろめたく思ってしまうことがあって。勉強会などで先輩から教わることがとても多かった反面、違うアプローチでも防災を勉強しないと追いつけないと感じてきました」。
さらに、ある豪雨災害の被災地で出会った方からかけられた言葉が今も強く胸に残っているそうで、「大雨への警戒を生放送内で呼びかけましたが、直後に訪れた被災地で出会った女性に“もっと早く強く言ってくれれば逃げたのに”と言われたんです。想像力をもって伝えていたけれど、テレビの向こうにいる方に100%届いていなかったことを目の当たりにして、“生半可な気持ちで伝えてはならないんだ”と改めて感じました。その後も様々な豪雨災害の現場を取材しましたが、 “どうすればよかったんだろう…”と答えがなかなか見いだせない。ひとつの正解はないかもしれませんが、一度テレビ取材ではない、別のアプローチで探したくなりました」と、まっすぐ前を見据えて語りました。
■仕事と私生活の充実 30代…これからの人生を考えたきっかけ
また、ここ数年は仕事で得られる喜びの質が変わってきたことも実感していたそうで「20代の頃はできなかったことができるようになったり、やるべき仕事を多く抱えていたりすることに喜びを感じていました。ただ徐々に仕事への携わり方や“どう貢献できたか”に手応えを感じるようになって。その質をあげるためにも、今の私には学び直しが必要だと思ったんです」と30代を迎えて心境の変化を感じたと語りました。
そんなタイミングで夫が転勤になったことも、今後のことを考える大きなきっかけになったそうで「今まではアナウンサーとしての活躍が自分の幸せに直結していたから、仕事一筋で走り抜けてきましたが、家族ができたことで少しずつ変わってきました。同世代の女性と話しているとよく感じていたんですが、30代前半の今、一人の人として“これからあり得る様々な選択肢を自分で手放すこともしたくない”と考える機会にもなりました」と、一旦立ち止まって考えたといいます。
■学び直し後も「学び続ける」 目指す姿は
ただ、約10年のキャリアを重ねてきたからこそ、その歩みから離れることには迷いもあったといいます。「復職した時には周囲の環境も変わっているだろうし、アナウンサーとして置いていかれることもあると思う。今は戻った際の想像はつかなくて、不安はあります」と正直な気持ちも明かしつつ、「今回の決断を報告した多くの同僚に、“戻ったら一緒にいい仕事しよう”と言ってもらえたことが嬉しくて、ありがたくて。今の私のモチベーションになっています」と笑顔を見せました。
最長3年の休職期間を過ごす岩本アナ。その後どんなアナウンサーになっていたいか聞くと「防災への自身の問題意識から、今回学びを深めるチャンスをいただいたので、災害と隣り合わせの私たちの生活のなかで、学んだことを還元していきたいです。私自身の伝え手としてのスキルアップはもちろん、日テレアナウンス部の防災報道力の底上げの一端を担える存在を目指します」と目標を掲げました。
続けて「今一番学びたいことは災害に関することでしたが、今後ニュースに携わるなかで他の疑問や課題を感じることもあると思います。そんな時、一人の伝え手、取材者として常に学び続けていく姿勢も大切にしたいと思っています」と決意を語りました。