新海誠が語る、震災を描く意味「2011年に感じた強い感情は、後ろめたさだった」
■震災を“描く”のではなく“入ってきてしまう”感覚
『すずめの戸締まり』というのは、東日本大震災のことを扱った映画ではあるんですが、ただ東日本大震災を最初からアニメーションで描こうと思って作ったわけではないんですよ。物語を作っていくと、どうしてもそこに災害が大きな要素として入ってきてしまうというのが、僕のこの10年ぐらいなんですよね。
その大きな理由は、僕たちのこの10年の生活が常に災害と共にあったからということにほかならないと思います。それだけが理由のような気がするんですよね。もう何よりもコロナ。もっと言えばウクライナ戦争、数年おきに僕たちの生活を根本から変えてしまうようなことが立て続けに起こり続けている。そこから逃れられないような、考えなければいけないテーマにそれがなってしまったんだと思うんですよね。
――今の日本、これだけ12年間で別の災害もあり大きな社会的な動きもある中で、やはり東日本大震災というのは避けて通れないものなのでしょうか?
そうですね。僕は被災者ではなかったんですけれども、でも12年前の出来事というのが今でも鮮やかに衝撃として残っていますし、そういう方は日本にたくさんいると思いますし、ですから多分年齢的に僕には東日本大震災が多分、この先ずっと一生忘れられないような大きな出来事だったんだろうなというふうに思います。
■新海監督を動かす“被災者ではない後ろめたさ”
――被災するそのさなかにいなかったからこそ、描かなければいけないという思いもおありでしたか?
そうですね…2011年に感じた強い感情は、後ろめたさだった。それは自分が被災地にいなかったということへの安心するような気持ちもあったし、次はこちらかもしれないという怖さがあるし。かつ自分のやっている仕事がアニメーションのエンターテインメントですから、誰の何の役にも立っていないなというふうにその時、やはり強く思ったんですよね。
でも、エンターテインメントでしかできないような災害への向き合い方であったりとか、災害への関わり方というものだってあり得るんじゃないかと、そういうものを見つけたいと。そういうふうにはだんだん思うようになっていたんですね。ですから、2011年をきっかけに作る作品のテイストは、僕はそれを前後に自分の中では変わったような気がしますね。
■映画監督デビューから約20年で「一番やりたかったことができた」
――(東日本大震災から)10年以上の時を経て、すずめの戸締まりという形で世の中に作品を出していくっていう今だったのはなぜですか?
今だったというのは振り返ってみたら今だったというのが一番大きなところで。こういうものをつくりたかったんだという気持ちのものをつくることができたんですね。この20年やってきた中で一番やりたかったことができたような気はしているんです。ただそれはタイミングを狙ったわけではないですよね。
――やはりこの災害を、映画作品、エンターテインメント作品の中で描くことでの葛藤であったり、周囲からの声っていうのは監督はどのように受け止めてらっしゃるんでしょうか?
いろんなことは考えるんです、もちろん考えるんですけれども、つくっていいのかいけないのかでいうレベルでいうと迷ったことはないんです。ただ、それをその自分たちにしかできないようなやり方でやりたいと思いましたし、自分たちだからこそできるような伝え方にしたいとは思ったんですね。アニメーション映画を作りますと、それを全国で公開しますというふうにすると、たくさんの人が見に来てくれるわけです。若い世代を中心に見に来てくれる。そういうふうに、その若い世代を中心に、日本全国の人が足を運んでくれるそのことが見込まれる作品だからこそ、災害を映画の中で扱うことに意味があるというふうに思いました。
■葛藤の中で描いた東日本大震災
――私も災害に向き合いながら仕事をしている中で、被災された方とお話をする時がやはり後ろめたさという感情とともに緊張する部分でもあって作品を世に送り出せば、被災した方も見るかもしれない。監督の中の不安っていうのはあるんでしょうか?
もちろんあります。東日本大震災を映画の中で扱うこと自体は多分、誰も反対しないと思うんですけれども、それをフィクションを交えたファンタジー要素を交えたアニメーション映画の中で扱うことについては、いろんな人がいろんな別々の考えがあると思います。
ただ、物語を作るということは、やっぱり誰かの心を動かしたいと思うこと。気持ちを動かさないように慎重に作るんだったら、誰のことも傷つけずにすみますけれども、でもそれを避けると、人々が見たいと思える映画ではないんじゃないかと思います。傷つく方向に動かしてしまう可能性もあるわけですよね。なるべく傷つけないように作りたいけれども、傷ついてしまう方、傷ついてしまう心というのを完全にゼロにするというのは不可能なんだろうなと思いながらやっていました。
■3作連続で災害を描く中、次回作は…
新海監督は、『君の名は。』ではいん石、『天気の子』では水害、『すずめの戸締まり』では地震をテーマにするなど、3作連続で災害を描き続けてきました。
――この後っていうのは、今どう思われてますか?
どうなんでしょうね。1本作り終えると、毎回僕はもうそれで白紙になってしまって、自分の中に何も残っていないという状態になってしまうので、今は次の作品のことはまだ全然想像できていないんですね。ここ3本災害が続いたので、予想されないようなものを出さなければいけないなということはいつも思ってるんですね。それで言うと、次はメインで扱うものは災害じゃないんじゃないかという風には思います。でも分かんないんですよね。
僕自身の映画のテーマは2011年をきっかけにして、もしも自分があなただったらということが、もう何て言うか、そこから逃れられないような考え方になってしまったんだと思うんですよね。自分が次に作品を作るんだとしても、もしも私があなただったらという要素がきっと中央に入った映画というものは多分この先も作っていくんだろうなというふうには思います。
■新海監督が思う“エンターテインメントにしかできないこと”
ただ一つ思うのは、2011年の時に強烈に思ったのは、もしも自分があの場所にいたらということだったんです。「もしも自分があなただったら」ということを繰り返し考えた。10代の観客に話を聞くと、震災のことはよく分からないという方もたくさんいらっしゃるし、そもそも覚えていないとか、震災後に生まれましたという人もたくさんいるわけです。この映画がうまく作られているのであれば、観客も同じような体験をしてくれると思ったんです。震災を知らないような10代の子たちも、鈴芽になることができたかもしれない。
楽しんでほしいと思ってアニメーションを作っているわけですけども、でも楽しみの中に12年前に大きく揺さぶられたいろんな人の感情を込めることができれば、それはエンタメにしかできないような一つの役割なんじゃないかと。楽しい映画だと見てくれた1000万人の人の中の、本当にごく一部であっても、自分があの場所にいたらどうだっただろう、そういうことを想像してくれるような人がいれば、それはエンタメにしかできない仕事だと少しだけ胸を張れるんじゃないか。