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松山ケンイチ、介護を通して感じた課題 「居場所をつくる」ためにできることは

2023年3月29日 7:40
松山ケンイチ、介護を通して感じた課題 「居場所をつくる」ためにできることは
松山ケンイチさん
『ヤングケアラー』や『老老介護』など、近年社会問題になっている“介護”。65歳以上の要介護者は年々増加傾向にあるなど、誰もが他人事ではいられないような問題になっています。そうした介護の問題をテーマに描かれたのが、3月24日公開の映画『ロストケア』。劇中で、被介護者を“救うため”に殺してしまった介護士・斯波宗典を演じた、俳優の松山ケンイチさん(38)に、演じる上で目の当たりにした現実や、私生活での気付きを聞きました。

■松山さんが抱いた危機感「本当にこういう事件が起きてしまう」

映画の原作は、日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した、葉真中顕さんの小説『ロスト・ケア』。社会に絶望し、介護士でありながらも自らの信念に従って殺人を重ねる斯波と、法の名のもとに斯波を追い詰める弁護士の、互いの正義をかけた緊迫のバトルが繰り広げられるミステリー作品です。松山さんは、2013年の発売当初に原作を読み、映画化を熱望したといいます。

――原作を読み、どんなことを感じましたか?

斯波のような殺人者、介護の一つとして、一つの方向性として殺人をしたという事件を、僕は非現実的じゃないなと思ったんです。僕と何が違うんだろうって思ったし、そうせざるを得ない状況になってしまったら、自分は絶対そうならないと言い切れない何かがこの原作にはあったので、これを自分ごとの問題としてきちんと向き合っていかないとなと思ったんです。

平和に見える国だけども、その平和の中にもいろんな穴のような要素はあるっていうことを、みんなが知って認識しないと、本当にこういう事件が起きてしまうと感じたので、世の中に出したいなと本当に思ったんです。

■8日に1件の割合で起きている“介護殺人” 役を通して見た現実

近年も、80代の夫が「介護に疲れた」と70代の妻を殺害した事件や、障害などがあり寝たきりだった夫と息子を「1人で介護するのに疲れた」と妻が殺害した事件など、“介護殺人”はあとをたちません。介護殺人や介護者支援などを研究し、映画の公開イベントにも登壇した日本福祉大学・湯原悦子教授によると、親族による介護殺人は、1年間で約45件、8日に1件の割合で起きているといいます。

――殺人を重ねる介護士を演じるにあたり、どんな準備をされましたか?

実際に介護士の方と「同じ介護士として斯波のやったことに対してどう思うんですか?」っていう話をすると、「間違いなくやってはいけないことだけども、何となくわかる」って言うんですよ。法律だから、社会常識だからダメって言えるけど、ただ、そういうのを全部取っ払って現実を見た時に、介護者と被介護者の現実を見ていると「100%ないって言い切れない」と話されていて。平日はデイサービスを利用して施設に入って、土日は休みじゃないですか。金曜日に(家族が)迎えに来た時に「はあ」って言いながら迎えに来るんですって。そういう話を聞いた時に、やっぱり家の中で“自分には想像できない過酷さ”があるんだろうなとも思えたし、やっぱり自分には想像できない過酷さがあるんだろうなと思いました。

子どもって何もできないところから育てていって、少しずつできるようになっていく。そこに喜びを感じたりとかもするし、自分も(子どもが)ここまでできるようになったから、今度こうしてみたらどうなんだろう、こういう遊びはできるんだろうかって、一緒に学びながら育っていける部分ってあると思うんですけど、すべてできていた人が、できなくなっていくということを、現実として見なきゃいけないのは、ものすごく大変なことだと思うんですよね。

■介護される側にも「居場所をつくれないか」 模索する役割

――ご自身や家族の介護について考えるきっかけになりましたか?

原作でも、介護を知らない状態で、自分の思い通りに平和に生きていられる人を“安全地帯にいる人”って表現をしていて、介護されたり、する側になって立ち行かなくなってしまった人たちのことを“穴に落ちてしまった人”と表現しているんですけども、僕は間違いなくそういう意味でいうと安全地帯にいる人でしかない。

僕の近くでも、介護が必要な人はいます。そこでの苦しみだったり、喜びだったりというのは、自分なりに経験していて。ただ、そういう経験をして僕が思うのは、介護(される)だけで人生を終わらせたくないなと思うんです。

障害や認知症、(身体が)不自由になってしまったりとか、他にも社会に出るのが怖かったりとか、いろんな要素で居場所が見つけづらい人たちが、自分自身で居場所を見つけていくのはすごく難しいと思うんですよ。そういう(介護・介助が必要な)人たちの居場所をつくるのは、もう一方の人たちでしかないので、僕は絶対そっち側の人間だから、何とかできないかとずっと模索してますね。

何でも可能性はあると思うんです。絵とか、畑に出てみるとか、何か編んだりするとか、その人の得意なもの、やってきたものってあると思うんです。その延長線上で何かうまくできないか、誰かに必要とされているっていうことを感じてもらえるように、僕らがきちんと考えていかなきゃいけない問題だと思うので、そこは何かやっていければいいなと思っています。