【特集】ベートーベンも愛した 三条市の学校に眠っていたピアノ「エラール」 修復され約100年前の音色を奏でる《新潟》
三条市の高校で、幻のピアノと言われる名器、フランスのエラール社手作りのフルコンサート型ピアノが長く使われずに眠っていました。約2年半かけて修復を終えて三条市に戻り、その音色を奏でました。
三条東高校に眠っていたピアノ
幻のピアノと言われるエラール社のフルコンサートピアノ。このピアノが長い間眠っていたのは2020年度に創立110年を迎えた三条東高校。
修復が必要な状態
1931年に高校にやってきたピアノは鍵盤がガタガタで動かなくなっているところがあるなど、再び演奏できるようにするには大掛かりな修復が必要となっていました。
約3年前、このエラールのピアノ復活のため地元・三条市で動き出したのが永桶康子さんです。
「やらなければならない」
NPO法人 燕三条エラール推進委員会 永桶康子代表
「どうしても救い出したいけど、救い出せないピアノが三条市に眠っていますよねという感じで、もうそれを聞いたからにはやらなければならないと」
永桶さんはNPO法人を立ち上げて寄付を募りエラールのピアノ復活のため動き出しました。2年半前、眠っていたエラールが、修復のため三条東高校から運び出される日がやって来ました。
この日、高校の卒業生でピアノと深い縁のある1人の女性の姿がありました。山崎満美子さんです。満美子さんは三条東高校に購入するピアノを選んだ大井楽器の大井長一さんの孫娘。当時のピアノの話を祖父から聞いていました。
「予算オーバーのピアノ」
山崎満美子さん
「すごいピアノで、とっても予算的にオーバーだったのだけれど、儲けとかそういうことではなくて、そのピアノを三条東高校に入れて、女子校の人たちの喜ぶ顔とか、びっくりさせたいっていうのが一番だったみたいで、100年近く時間が経っていて、もう大井楽器もなくなっているし、エラールが、楽器店があった証としてまたこれからずっと生き続けていくのかなと思うと、すごく熱い気持ちになって」
多く作曲家に愛されたエラール
祖父・長一さんが約100年前に買いつけたピアノはエラール社製の手作りの高級ピアノ。日本では昭和天皇の妻・香淳皇后が愛用していたものが今、迎賓館赤坂離宮で一般公開されています。リストやベートーベンなど多くの作曲家に愛され、数々の名曲がエラールのピアノで作曲されました。
ピアノ工房に運ばれる
復活のため高校から送り出されたエラールのピアノは県外のピアノ工房へ運び込まれました。大掛かりな修復に取りかかります。金属部分は錆び、ウールの部分のフェルトが虫に食われているなどボロボロになってしまっている部分が多くありました。
製造されたのは1930年。病気で言うと重症の状態。長年使われていなかったことで劣化が進んでいました。
いちからの修復
内部はもちろん、劣化は外見にも。希少価値の高いローズウッドの化粧板は所々欠けていたり、パーツが抜け落ちたり。錆びついて鳴らなくなった弦は全て交換が必要になっていました。弦は全て外され、いちからの修復が行われたのです。
ツヤツヤになって戻る
搬出されてから約2年経った2023年の夏。修復を終えたエラールが三条市へ帰ってきました。ピアノの外側は傷が治り綺麗に磨かれツヤツヤに。元々上質な木が使われているため、木の枠の部分は歪みがなく、とてもしっかりしていたと言います。
ガタガタで動かなくなっていた鍵盤は修復され、まっすぐきれいに揃いました。さびて鳴らなくなっていた弦は全て張り替えられました。さびていたピンは磨かれてピカピカになりました。
弾き込みを行う
100年前、初めて三条東高校にやってきた当時の美しさを取り戻したピアノ。帰ってきたピアノはより弾きやすくいい音が響くように地元ピアノ演奏者による弾き込みが行われました。この日は、お披露目当日にピアノを演奏するピアニストの三好優美子さんが弾き込みのため三条を訪れていました。ピアノを弾き込みながら鍵盤のタッチ、音の響きなどを確認していきます。
三好優美子さん
「自分のピアノで聞こえる音と、特に低音とかが違うので不用意に出さずに、ちゃんと響きを追ってから 弾かなきゃいけないなっていうのをちょっと思いました」
受け止められないほどの花束がやってくる
NPO法人 燕三条エラール推進委員会 永桶康子代表
「最初に三好さんがおっしゃった言葉がすごく印象的だったのですが、ふたを開けてさあ弾こうと思って弾いた時のその音が、ふたの向こうから受け止められないほどの花束がやってくるような、そんな音楽が聞こえてくるのだけど、どうしたらいい?という風に三好さんがおっしゃって」
このエラールのピアノに、今回特注のカバーが製作されることになりました。永桶さんも一緒にエラールに合う色や素材を選んで製作されるカバーです。
迎えたお披露目当日。ステージの上のピアノのカバーを畳んで準備を進める永桶さん。
NPO法人 燕三条エラール推進委員会 永桶康子代表
「本当にいつもとまた違う、私の本当のステージはここなの!と言っているような感じで、きょう本番を迎えていると思います」
地元の子供たちに1番最初にエラールのピアノの音を聞いてもらいたいと、三条市の小中学生と三条東高校の生徒が招待されました。エラールのピアノ、復活後初めての音色の披露となります。
ベートーベンでお披露目
(♪熱情)
演奏されたのは、ベートーベンが耳が聞こえなくなってから作曲したとされる曲「熱情」。エラールの技法でピアノの音が大きく鳴り響くようになり、ピアノの音が再び聞こえる喜びと情熱を注いで作った曲と言われています。
モーツァルトも
(♪トルコ行進曲)
そして、この曲は変曲バージョン でファジルサイ、そして三好さんのアレンジも加えたモーツァルトの「トルコ行進曲」です。
演奏した三好優美子さん
「エラールさん、いてくれてありがとうっていう、戻ってこられたこの時にご縁があって一緒にいられたことが本当にありがたいと申しますか、この瞬間立ち会えたことが幸せです」
「奇跡かも」
演奏を聴いた子どもたち
「すごく貴重なものなのだというのを感じました」
「すごくいい音色があって素敵だなって思いました」
「音の幅がすごくて、とても聞き入りました」
「今こうやって弾かれているのも奇跡なのかなと思います」
エラールの伴奏で旧校歌を歌う
無事お披露目を終えたエラールのピアノ。
今後は三条市にある、ものづくりの町の複合施設「まちやま」に置かれます。お披露目の2日後、三条東高校のOBOGなどが訪れたコンサートが開かれました。
(♪三条東高校の旧校歌)
エラールのピアノの伴奏で歌われた三条東高校の旧校歌。学生時代、エラールのピアノの伴奏で合唱した卒業生も。
卒業生
「エラールが戻ってきてね、あんなに綺麗な音色になったらね、もう涙が出ました」
「鍵盤の象牙が剥げて可哀そうなピアノだったのです。こんないいピアノだと知らなくて、皆で勝手に使っていたので、すごく綺麗な音になってくれて嬉しかったです」
旧校歌の後は、三条東高校の今の校歌。現役の吹奏楽部も一緒に演奏します。高校の卒業生で、ピアノを選んだ大井楽器の大井長一さんの孫娘・満美子さんの姿も。
エラールを選んだ大井さんの涙かも
山崎満美子さん
「祖父のことも頭に蘇ってきたし、それが今こうやって目の前で同じ楽器が音を奏でている感動というか、知らないうちに涙が、私の涙じゃないかもしれない、じいちゃんの涙かもしれない」
100年前、三条にやってきて30年 以上弾かれていなかったエラールのピアノ。修復のため送り出してから約2年半、美しくよみがえり帰ってきたエラールの音色に、活動してきた永桶さんの思いもひとしおです。
「多くの人の心に響いた」
「エラールさんの未知数を感じたというそれが一番ですね。多くの人の心に響いているな、漂っているな、というのがこちら側から見て本当によくわかったので、なんか嬉しかったですね、はい」
再び魂を吹き込まれたエラールのピアノ。今後は様々なコンサートなどでも舞台に立ち、多くの人にその音色を届けていく予定です。
2023年12月15日「夕方ワイド新潟一番」放送より
エラールの音色を含む詳しい内容はリンクから動画をご覧ください。