ヤフー安宅氏 無駄な努力をしない社会に2
ヤフー・チーフストラテジーオフィサーの安宅和人氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。2つ目のキーワードは「データやAIの力を解き放てる人とそうでない人に社会は二極化する」。その真意とは―
■今も昔も、技術は“劇的に”変化する
――この数年でAI、人工知能やロボットの技術は劇的に進化する中で「二極化」と聞くと、ちょっと怖いなという印象も受けますが。
でも、これは昔もそうなんですよ。馬車を引いてた時代から車の時代になったわけですよね。車の時代というのが―この前、孫会長さんに見せてもらったんですが、1901年のニューヨークの街中の写真を撮ると、馬車が100台、車が1台ぐらいなんですね。それが1913年になると、車が100台、馬車1台とかなんですよ。
そのぐらいの勢いで技術というのは変化して、馬車を引いていた人の仕事は変わっていったわけです。馬車引きから車乗りに変わらなかった人は、苦しい目にあったと。これと同じなんですよ。
今は、データやAIの力で、今まで人間が手間をかけて情報を区分けしてたり、それに基づいて、予測してたりしたものが自動化されると。それが機械に任せると、1000倍、10000倍になるときに、人力でやってると、さっきのそろばんと似たことが
起こっちゃうんです。
■AIはかなりの仕事を「できない」
――そんな中で、オックスフォード大学や野村総研などが、「今後なくなる職業もある」と言っているが、これを聞くとすごく心配にもなるが、どう思われますか。
まあ、嘘っぱちですよ(笑)。安心して下さい、仕事はあります。いま我々が、AIというと、何か人格を持っているように思っている人が多いんですけど、AIというのは我々が、コンピューターにアルゴリズムを突っ込んで、データで教育したものなんです。ですから、人格もへったくれもないんです。意思は持たないし、常識もないですし、問題を解くために、区分けするとかそういうこともできないんです。ですから、AIには、かなりの仕事ができません。
人間は、部屋を片付けようと思ったときに、「この部屋は先に片付けよう」「この部屋は放置しよう」といったことを無意識に考えるわけですが、AIの場合、そういうことすら指示を与える人がいるんです。ですから雑作業や、情報処理は任せられますけど、大多数の仕事、意思決定の部分は残ってしまいます。あるいは仕事って、今現場もそうですが「対話」じゃないですか。相手が何を考えているかクリアにしていくとか、自分は結局、何を言いたいんだとか、そういう対話というのは機械にはまったくできないんです。なので、それが仕事の大多数を占めている以上、仕事は消えないです。
ただ、今までその時間をかけてやってた「情報の仕分け」であるとか、それに基づく「予測」だとか、あるいは「碁」、実行的な「ピッキング」とか、そういったことは機械に任せればいいと。
■AIは怖くない、使い倒すもの
「人間とはそもそも何なのか」ということは、劇的にクリアになっていくと思うんですね。データやAIの力を使うと「識別、予測、実行」的なことはどんどん自動化されるので、人間しかできない「見立てる、方向性を定める、問いを立てる、組織を率いる」とか…こういうのって、冷静に考えると仕事の大多数を占めていると思いませんか。
だいたいどんな仕事もそうなんです。ですから、そう簡単には消えないです。だから「識別、予測、実行」だけをやっているような仕事は、かなり劇的に仕事が変わると。
――そうすると経営を行うにあたっても、資源は変わってくるわけですよね。
劇的に変わると思います。
――今までは、やはり「人、モノ、カネ」が経営にとって非常に大事だったと思うのですが、これはどうなんですか。
すごくいいポイントです。人もモノもカネも大事なんですけども、特にモノとカネに関してはデータとAIが回してくれるようになるので、どちらかというと、人とデータと機械(AIやロボット)というのが、今後の経営資源の要になってくると思います。
――人にしかできないと思われるような「やる気にさせる」「意欲」「慮(おもんぱか)る」とか、そういったところは、なかなかできないと。
完全に人間のやることです。
――「ビジョンをつくる」というのはどうですか。
ビジョンをつくるのは、もう完全に人の仕事ですよね。
――そうすると私たちは、そんなに恐れることはないと。
恐れることはなくて、便利なモノができたね、使い倒しましょうというのが、正しい心の持ち方です。
――AIを遠ざけるのではなく使い倒そう、そして、自分たちにしかできないことを自分たちがやろうということなんですね。
そうです、そうです。
■“データリテラシー”なき者は負ける
――そうすると教育だと、必要なモノが変わってきますよね。
教育はかなり変わっちゃいますよね。データや機械の力を解き放つ能力が間違いなくひとつ加わってくるので、今までは人間が独立して生きていこうとすると、「母国語ができる」、海外にいくとしたら例えば「英語ができる」、そして「問題解決ができる」、この3つだったと思うのですが、加えて、「データリテラシー」というか、先ほどの「識別、予測、実行」を使い倒せる力というものが加わる。これが基礎リテラシーというものになると思います。
5年たつと、たとえフランス文学を専門にしている人も、コンピューターで形態素解析をして、卒論を書く時代になる。日本ではどうかわからないが、世界的にはそれが普通です。やったほうがいいです。法学部の人も当たり前のように、フランスの法律と日本の法律を機械で翻訳をかけて、研究する時代がきます。
■“丸腰”で世界と向き合う日本の学生
――そうなると、今は、日本はすごく遅れているということにはなりますか。
遅れているというより「やってない」。これは、ものすごくまずいですよね。我々みたいに二十数年前に大学出た人、特に理系の人は、世界1、2位を争う理数教育を受けて出てきた。今はそこの部分がまるごと抜けていると。
今、アメリカの例えばトップ大学、MIT(=マサチューセッツ工科大学)とかいくと、ほとんどアンダーグラデュエイトと呼ばれる学部制の100%に近い人がコンピューターサイエンスをメジャーでとっています。それ以外の一流大学でも、半分ぐらいはとっているという状態で、日本は、日本のMITにあたる東京工業大学でも二百数十人しかコンピューターサイエンスをメジャーでとっている人はいないんです。
つまり日本の若者たちは、戦場に武器を持たずに出ていっている。相手がマシンガンを担いでいる中で、言ってみれば空手しか習っていない形ですね。これは良くないです。子どもたちの才能が生きないので、そこから変えていかないといけないのではないかと思います。