“人間の盾”に…「地下室監禁」の実態 遺体の横で子どもが遊ぶ状況も ウクライナ
ロシアのウクライナ侵攻から5か月、戦争は人々の日常を突然、変えてしまいました。私たちは、ロシア軍によって、ほぼ全ての住民が1か月近く地下室に監禁されたという村を取材しました。
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ウクライナ北部にある小さな村「ヤヒドネ」は3月はじめ、ロシア軍に占領されました。住民のイワンさんが、村の学校にある地下室を案内してくれました。
この地下室に、住民のほぼ全員、350人あまりが1か月近く監禁されました。当時、ロシア軍は学校を拠点にし、イワンさんら住民は、攻撃されないための“人間の盾”として使われたのです。
ロシア軍に監禁されたイワンさん
「私が家族といたのは、この部屋です」
イワンさんが案内してくれたのは最も大きな部屋で、乳児から大人まで136人が収容されたといいます。住民が解放直後に撮影した写真では、人々がひしめきあう様子がわかります。
今も室内には、当時の物が残されています。
イワンさん
「ここに、私は家族と座っていました。足がしびれるので立って寝ることもあった。でも、立とうとすると、足元には別の人の手があるんです」
壁には、子どもたちの描いたという絵が至る所にありました。
記者
「『戦争はやめてほしい』と書いてあるそうです」
住民たちの携帯電話は破壊され、外部との接触を絶たれました。トイレなどのために短時間、外に出られることもありましたが、全てはロシア軍の気分次第だったといいます。食料不足や酸欠などで体調を崩し、高齢者10人が亡くなりました。
イワンさん
「ここに動けない人や、亡くなった人を寝かせました」
遺体のすぐ側で、子どもが遊ばざるを得ない状況だったといいます。
別の部屋にいた住民は、さらに過酷な環境で、通気口のない部屋に約20人が押し込められました。
イワンさん
「誰が室内にいたかを書いています。生きて出られないと思ったので」
地下室の壁には、亡くなった人の名前のほか、日付を忘れないようにするためのカレンダーも。暗闇の中、わずかな明かりを頼りに書いたといいます。
「明日生きられるか分からない」終わりの見えない地下室での生活でした。
しかし、ロシア兵は、監禁から約1か月後の3月30日に撤退し、村から姿を消しました。翌日、ウクライナ軍が村を解放し、人々は、ようやく自由を取り戻したのです。
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ロシア軍が拠点にしていた学校の校舎に入りました。
記者
「ロシア軍が持ち込んだ食料が残されています。スープのようです」
他にも、酒やたばこ、服など生活の痕跡が今も残っていました。当時、ロシア兵と会話した住民は――
監禁された住民
「『おばあちゃん、心配しないで。あなたをロシアへ避難させて、ここは全部復興します』って」
しかし、実際には、ロシア兵は住民に暴力を加え、地下室の中で亡くなった人以外に、少なくとも7人が殺害されたこともわかっています。
イワンさん
「ロシア軍を人間と呼べますか? あんなの人間じゃない。私たちにとって、この戦争は悪夢です。早くこの悪夢から目覚めたい」
村の復興は少しずつ進んでいますが、住民の心の傷が癒えることはありません。