「遺体積み重なる町」…“激戦”ウクライナ東部から脱出 故郷の家族と連絡取れず無事を願う日々
ウクライナのキーウ近郊に、戦闘が激化している東部から避難してきた人が多く集まる場所がある。キーウから車でおよそ30分ほど南にあるロマンキウ。そこで仮設住宅に身を寄せる人々は、故郷に残る家族と連絡が取れなくなったり砲弾が飛び交う夢に悩まされたりしている。
■40日間のシェルター生活で友人ら2名が死亡
ウクライナの首都、キーウから車で1時間弱ほど南に走った場所に外国資本の建設会社の作業員が入居するプレハブが建ち並んでいる。そのうちの1棟が、ロシアとの激戦が続くウクライナ東部から避難してきたおよそ60人が暮らす仮設住宅になっている。
そこで出会ったのはロシアによって占拠された東部のルハンシク州ポパスナから脱出したワレリーさん(24)。シェルターでおよそ40日間避難生活を送った末、父親と共に4月12日ここにたどりついた。
ワレリーさんが住む町ポパスナでは2月15日からロシアによる砲撃が始まり、戦闘激化に伴いワレリーさんは鉄道会社のシェルターに避難。およそ60人での40日にわたる避難生活は、薪で調理したじゃがいもをかじり、破片が入った井戸水を沸かしてすする日々だったという。
避難生活が続くある日、シェルターで生活を共にしていたワレリーさんの友人ら2人が亡くなった。
ワレリーさん(24)
「食料を取るために友人が外に出たところ、シェルターまであと100メートルのところで砲撃されたんです」
■かばん1つで避難…「砲撃を受け死ぬ夢」で目覚める日々
ロシア側の攻撃はシェルター内にも及んだといい、爆風を受けた耳には今でも痛みが残っているという。
「父は鉛筆を2つに折って念のために紙をくれました。家の下敷きになったときに自分の名前を残すためです」
シェルター内では、戦闘が続く夢にうなされ寝ても覚めても戦争が続いていたというワレリーさん。父が手配したバスでようやくシェルターを脱出することができたが、持ち出せたのは衣服が入ったかばん一つだけだった。
ワレリーさんは今もある夢に悩まされるという。
「歩いていると突然砲撃を受けて死ぬ夢をみます。それでハッと起きてしまいます」
およそ1時間にわたる取材の間、ワレリーさんが笑顔を見せる場面は一度もなかった。
■避難先でも着弾…地元の祖母と電話通じず
ルハンシク州最後の拠点となり、ロシアが攻勢を強めていたリシチャンシクから1歳の子どもを連れて避難したリリアさん(22)は現地に残る祖母と全く電話がつながらなくなっている。
ロシアの侵攻が始まった2月24日、砲撃音を聞いたリリアさんと家族は荷物を持って駅に向かい、列車で2日かけて西部のリビウに避難したという。しかし、避難先の側にあった戦車工場が攻撃され、そこからさらに山間部のトランスカルパチアへ移動。そこで1か月ほど暮らしたあと、5月末にこの避難所に到着した。
■安否確認はボランティアが投稿する「SNS動画」も…
故郷のリシチャンシクでロシア軍が電波塔などを破壊した結果、3月末から電話がつながらなくなっているという。祖母の安否を確認する手段は、戦闘が激しい地域に小包を届けてくれるボランティアが、電波が届く所に戻ってSNSにアップする動画のみだという。
リリアさんが見せてくれた6月18日に投稿された映像には、祖母が「小包をありがとう、無理しなくていいよ」とカメラに向かって話す様子が映し出されていた。
しかし、それから10日間、祖母の安否はわかっていない。
リリアさん(22)
「祖母のことがとても心配です。どうしていいかわかりません。祖父も93歳で血圧が高いのですが、道路が封鎖されていて誰も薬を送ることができません」
親族のほかに、当時のクラスメイトの半数は避難したが、避難できなかった残る半数の友達とは連絡が取れていないという。
■町がどんどん廃墟に…積み重なる遺体
ロシア側に占領されたセベロドネツクから3月下旬に脱出したイヴァンさん(33)の顔には、自宅が攻撃された際に受けた傷が生々しく残っていた。
イヴァンさんは、セベロドネツクで自宅アパートの1階入り口付近で砲撃にあい、破片が頭や目尻などに飛び、鼻には穴が開いたという。自宅に住めなくなり対岸のリシチャンシクに避難したが、自宅があるセベロドネツクに足を運ぶ度に町の状況はどんどん悪化していったという。
イヴァンさん(33)
「町がどんどん廃墟になっていきました。本当にたくさんの遺体を見ました、6人の遺体が重なっているのを見ました」
ロシアによる攻撃で陥落した故郷。自宅の写真などは、逃げる際の検問でチェックされる可能性があるため、スマホからほぼ消去したという。
変わり果てた故郷については。
「とても悲しいです。将来絶対に町に戻ろうと思うが廃墟になってしまったので再建には10年から15年かかると思います。」
戦闘終結の見通しが立たない中、激戦が続く東部からの避難者たちは、故郷にいる家族や友人の無事を願う日々が続いている。