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救急の切り札!三重県津市の“空白地域”を守る、機動的救急隊「M.O.A」に密着

2024年7月26日 14:02
救急の切り札!三重県津市の“空白地域”を守る、機動的救急隊「M.O.A」に密着

すぐに救急車が駆け付けられない「救急空白地域」を埋めるべく、去年より三重県津市で導入された機動的救急隊「M.O.A」。一刻も早く患者のもとにたどり着くため、津市を縦横無尽に駆け回る「M.O.A」に密着しました。

“空白地域”に素早く駆けつける救急隊

災害級の暑さとなっているこの夏。救急隊は1年で最も忙しい時期を迎えています。

「熱中症疑い!96歳!」

救急車が向かった先は、三重県津市のクリニック。90代の女性が重度の熱中症の疑いがあるため、病院に移してほしいという要請です。

女性の体温は38.8℃まで上がり、かなりぐったりした様子。アイシングで体を冷やしながら病院へ搬送します。この日の最高気温は33.9度。女性は扇風機を使用し、エアコンのついていない部屋で過ごしていたと話しました。

無事、病院へ搬送された女性。しかし、もしかしたら、“救急車がすぐに来ない”という事態に巻き込まれていた可能性があるのです。

女性の搬送要請があったとき、最寄りの救急隊は出動中。隣接する地域の救急隊が代理で出動した場合、今度はその地域が救急車がいない“空白地域”になってしまうのです。

そんな事態を防ぐために作られた部隊が、三重県津市における“救急の切り札”「M.O.A(Move Over Ambulance)」。課せられた使命は、「救急車がいない“救急空白地域”に駆けつける」こと。

人口約27万人、琵琶湖とほぼ同じ広大な面積を抱える三重県津市。13ある消防署などに配備された救急車が、各地域の要請に対応しています。

一方、「M.O.A」は市のほぼ中央に位置する本部で待機。“救急空白地域”が生じると、その地域に管轄を超えて駆けつけるのです。

今年4月より3人の専属隊員が任命

去年、試験運用を経て導入された「M.O.A」。今年4月、3人の専属隊員が任命されました。

そのうちの一人、小野麻衣さんがこの部隊の“生みの親”。「救急空白地域をどうにかして埋めることができたら、患者のもとに1分1秒でも早く救急車が到着することができるのではないかと考えました」とM.O.A発案の経緯を語ります。

去年、三重県津市で救急車が出動した回数は、過去最多の1万8110回。平均すると30分に1回、救急車が出動しており、“救急空白地域”が生まれることもあったといいます。しかし、なかには「チューハイを飲み過ぎてしまった」という緊急を要さないも通報も。

搬送の遅れは、患者の生死を左右する

出動の増加は、救急車の到着の遅れを招きかねません。実際、通報者が“救急空白地域”にいたことから、救急車の到着が遅れてしまった例がありました。

去年7月、津市の北部に住む男性が、60代の妻がけいれんを起こしていると通報。しかしこの時、男性の住む地域では、救急隊が出動していたため、別の管轄の南地域の救急車が出動するという事態に。本来、10分以内で到着できるはずが、20分ほどかかってしまったといいます。

救急空白地域をはじめ、全国的に課題となっている“救急のひっ迫”。『三重大学病院』高度救命救急・総合集中治療センターの鈴木圭センター長は、重症の場合、搬送の遅れは、患者の生死を左右しかねないと指摘。
「搬送時間が1分でも1秒でも短い方が、患者にとってはいいわけですよね。予後としても良くなる可能性が高いですから。(搬送の遅れは)予後にも影響を与えている可能性はあると思います」と話しました。

そんななか、救急空白地域を埋めるために導入された「M.O.A」。時には、通信指令センターの判断により、救急車が手薄な場所へ“先回り”して向かうこともあるそうです。

常にすべての救急隊の動きを把握

出動の合間は、事務作業にあたっているM.O.A隊員の3人。作業の途中、時折手を止めてはどこかを見ていたのは、M.O.A隊長の東 悟史さん。同じく小野さんも、東さんと同じ方向を向いてソワソワしています。

二人の視線の先にあったのは、各地域の救急隊の出動状況を示すモニター。“救急空白地域”に駆けつけるM.O.Aでは、常にすべての救急隊の動きを把握しているのです。

その“把握力”は、毎朝の車両点検時でも垣間見ることができました。指令無線が入った瞬間、点検作業の手を止め、指令を聞く東さん。無線が流れる途中、ある方向に向かって指を指しました。

その先にあったのは、その地域を担当する救急車。無線内容を聞きながら、出動する救急車をいち早く察知していたのです。

その後、「南と美杉と久居(の救急車)出た」と、素早くM.O.A隊員と情報を共有。次の通報に備えました。

その後、取材チームが小野さんへのインタビューしている最中、救急車の“救急空白地域”から119番通報が。小野さんらM.O.Aはすぐさま準備を整え、現場へと急行しました。

“日中勤務”で働き方改革

救急の空白を埋めるため、市内を駆けまわるM.O.A。そのハンドルを握るのは、ベテラン救命士の小菅 聖志さん。実はM.O.Aの隊員になる前は、津市の中消防署で署長を務めていたという異色のキャリアの持ち主。

定年まで署長を務め、今年4月、約20年ぶりに救急現場に復帰しました。今年61歳を迎える小菅さん。「病院行ったらびっくりされるもんな。昔、お世話になった先生に会うと『まだ乗ってんの!?』って」と周囲の反応を明かしました。

M.O.A発案者の小野さんも、約13年間、救急の現場から離れていました。その理由は、2人の娘の出産と子育て。

通常、救急隊は朝8時半に出勤すると、仮眠を取りながら翌朝8時半まで出動に対応する24時間勤務です。一方、M.O.Aの隊員の定時は、事務部門と同じ午後5時15分。

その理由について、小野さんは「救急車の出動は、日中と夜間がだいたい半々という統計も出ていたので、“日勤救急隊”ということで(勤務しています)」と、自身の勤務スタイルと併せて話します。

午後5時15分、勤務を終え、帰路につく小野さん。その道中、救急の現場から離れていた間に抱えていたもどかしさを明かしてくれました。

「救命士という資格を持っている以上は、(出産から)何年後かには救急車に乗って、市民の役に立ちたい気持ちはずっとありました」と当時の心境を明かす小野さん。続けて、「なかなか救急車が到着しない状況が生まれていることは、危機感を感じていました」と救命士としての思いを話しました。

子どもとの時間を大切にしつつ、救命士としても貢献したい。そんな思いから発案したのが、「M.O.A」でした。帰宅後、小野さんの娘に母・小野さんの仕事について聞いてみると、「人を助ける仕事。かっこいいし憧れる」という答えが。

初めて聞く娘の思いに、「泣いちゃう、母ちゃん。こういうこと言われるの初めてやな」と嬉しさを滲ませます。

小野さんが勤務する職場のデスクの引き出しには、娘から贈られたというお守りが入っていました。「安全にということで(娘の)手作りで。緊急走行している救急車とか見ると、ちょっと心配なところもあるのかな」と娘に思いを寄せました。

1分1秒でも早く患者さんのもとに到着したい

7月上旬のある日。朝からM.O.Aに出動の指示が出されました。任務内容は、クリニックから脳卒中の疑いがある女性を病院へ転院させること。「頭痛いとかは?」、「右手のしびれとか力が入りにくい感じかな?」と、小野さんが優しい口調で患者の容体を確認しながら転院先へと向かいます。

搬送を終え、署に戻ろうとするM.O.A。しかしその時、久居署では、待機していた救急車が出動し、“救急空白地域”が生まれていました。

M.O.Aが署に到着したところで、隊長・東さんの電話が鳴りました。「入った!救急(出動)!」と次の出動先に向けてハンドルを握る小菅さん。空白地域からの出動要請、M.O.Aは態勢を整え、すぐに現場へ向かいます。
学校でサッカーをしていた生徒2人がぶつかり、けがをしているとのこと。

現場に到着後、腕をけがした生徒の処置にあたるM.O.A。救急車に運び込まれた生徒は、左肘のあたりが大きく腫れていました。「ちょっと痛いな、ごめんな」と、痛みに耐える生徒に寄り添いながら処置を進めます。

搬送中、車の揺れで腕に痛みが走らないよう、全身で生徒の体を支える小野さん。どんなときも、患者に寄り添うことを忘れません。

M.O.Aは無事、病院に到着。M.O.Aがいたことで、現場までの到着時間は4分短縮。救急空白地域を埋める使命を果たしました。

三重県津市の“救急の切り札”として活躍するM.O.A。小野さんは今後の展望について、「救急車を要望する人は、とても不安が強い人ばかりですので、1分1秒でも早く患者さんの元に到着して、安心を与えることができるように活動したい」と語ります。

ひっ迫が懸念される救急の現場。一刻も早く患者のもとへたどり着くため、M.O.Aは今日も縦横無尽に津市を駆け回ります。

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