那賀町木沢地区のシンボルはどうなるのか? 木製の巨大な風車の羽根が折れ壊れる【徳島】
徳島県那賀町の木沢地区には、30年以上前に地域活性化のシンボルとして作られた木製の風車があります。
この風車は、2024年になり羽根が折れているのが見つかりました。
この風車の設置に携わり、その復活を考えている男性を取材しました。
那賀町の北部にある木沢地区。
(河野将明記者)
「遠くの方に風車が見えてきました。ただ、羽根が止まってしまっているように見えます」
(河野将明記者)
「風車の羽根が折れてしまっています。4枚の羽根。風車の羽根が折れてしまっています」
この木造風車、土台となる小屋の高さは約10mで、1枚が4mにもなる羽根4枚が雄大に回る、木沢地区のシンボル的な存在です。
風車は山の中腹600mほどの所に位置し、現在は休校となった学校や民家、棚田など、長年、木沢の人々の暮らしを見守ってきました。
春には風車の周りでドウダンツツジが咲き誇り、冬には恋人たちのためにイルミネーションを灯していました。
しかし、2024年1月、老朽化の影響で羽根の1枚が根元から折れているのが見つかりました。
(木沢地区の住民)
「やっぱり、寂しくなった。皆、よく見に来ていたし、無くなったら寂しい」
(木沢地区の住民)
「シンボル的なもので、辛いですよ。なんとか作り直してほしい」
風車ができたのは今から30年以上前、那賀町に合併前の木沢村だった時までさかのぼります。
ふるさとを盛り上げようと立ち上がった村の男たち「村おこし30人衆」を中心に、計画が進められました。
当時の村長の話からも、その期待の高さが伺えます。
(旧木沢村 後一二村長(当時))
「観光事業に力を入れていきたい。(風車は)非常に木沢にふさわしいと申しますか、珍しいひとつのモニュメントになろうと」
男達に報酬はありません。
それでも、村の大工が引いた図面を元に、30人衆をはじめとする村民たちが力を合わせ、ほとんど手作業で風車を作り上げました。
当時、30人衆の1人だった湯浅善光さん(75歳)に、話を聞くことができました。
(村おこし30人衆 湯浅善光さん(75))
「(30人衆のメンバーは)林業とか農協など団体職員、大工さん、土木事業、農業。お酒を飲んで談義する中からアイデアが出てきたりしているうちに風車を(を作ろうとなった)」
かつては活気のあった木沢地区も、今では働き手が減り、子どもたちの元気に遊ぶ声も聞こえなくなりました。
壊れた風車の羽根は、ふるさとの過疎化を象徴するかのようです。
(村おこし30人衆 湯浅善光さん(75))
「(地区の人口は)400人を切っていると思うんです、この20年間で。限界集落というのは多くできている。その中で地域のシンボルとして(風車は)建ち続けてきた。都会に出た人も風車を見て、田舎へ帰って来たと」
何とか風車を再生させたいと考える湯浅さん。
(村おこし30人衆 湯浅善光さん(75))
「町と関係者で寄って協議して、修繕するか解体するとか。(修繕なら)かなりの金額になるので、相談するようになるんとちゃうかと思う」
木沢の風車がまた風を受け、回る日は来るのでしょうか。
この木沢の風車は2019年にも羽根が壊れていて、その時は村出身者からの寄付があり、約50万円をかけて修理したそうです。
風車を管理する那賀町は、今後、羽根を全部取り外して、調査した上で今後の対応を決めるということです。
この風車は、2024年になり羽根が折れているのが見つかりました。
この風車の設置に携わり、その復活を考えている男性を取材しました。
那賀町の北部にある木沢地区。
(河野将明記者)
「遠くの方に風車が見えてきました。ただ、羽根が止まってしまっているように見えます」
(河野将明記者)
「風車の羽根が折れてしまっています。4枚の羽根。風車の羽根が折れてしまっています」
この木造風車、土台となる小屋の高さは約10mで、1枚が4mにもなる羽根4枚が雄大に回る、木沢地区のシンボル的な存在です。
風車は山の中腹600mほどの所に位置し、現在は休校となった学校や民家、棚田など、長年、木沢の人々の暮らしを見守ってきました。
春には風車の周りでドウダンツツジが咲き誇り、冬には恋人たちのためにイルミネーションを灯していました。
しかし、2024年1月、老朽化の影響で羽根の1枚が根元から折れているのが見つかりました。
(木沢地区の住民)
「やっぱり、寂しくなった。皆、よく見に来ていたし、無くなったら寂しい」
(木沢地区の住民)
「シンボル的なもので、辛いですよ。なんとか作り直してほしい」
風車ができたのは今から30年以上前、那賀町に合併前の木沢村だった時までさかのぼります。
ふるさとを盛り上げようと立ち上がった村の男たち「村おこし30人衆」を中心に、計画が進められました。
当時の村長の話からも、その期待の高さが伺えます。
(旧木沢村 後一二村長(当時))
「観光事業に力を入れていきたい。(風車は)非常に木沢にふさわしいと申しますか、珍しいひとつのモニュメントになろうと」
男達に報酬はありません。
それでも、村の大工が引いた図面を元に、30人衆をはじめとする村民たちが力を合わせ、ほとんど手作業で風車を作り上げました。
当時、30人衆の1人だった湯浅善光さん(75歳)に、話を聞くことができました。
(村おこし30人衆 湯浅善光さん(75))
「(30人衆のメンバーは)林業とか農協など団体職員、大工さん、土木事業、農業。お酒を飲んで談義する中からアイデアが出てきたりしているうちに風車を(を作ろうとなった)」
かつては活気のあった木沢地区も、今では働き手が減り、子どもたちの元気に遊ぶ声も聞こえなくなりました。
壊れた風車の羽根は、ふるさとの過疎化を象徴するかのようです。
(村おこし30人衆 湯浅善光さん(75))
「(地区の人口は)400人を切っていると思うんです、この20年間で。限界集落というのは多くできている。その中で地域のシンボルとして(風車は)建ち続けてきた。都会に出た人も風車を見て、田舎へ帰って来たと」
何とか風車を再生させたいと考える湯浅さん。
(村おこし30人衆 湯浅善光さん(75))
「町と関係者で寄って協議して、修繕するか解体するとか。(修繕なら)かなりの金額になるので、相談するようになるんとちゃうかと思う」
木沢の風車がまた風を受け、回る日は来るのでしょうか。
この木沢の風車は2019年にも羽根が壊れていて、その時は村出身者からの寄付があり、約50万円をかけて修理したそうです。
風車を管理する那賀町は、今後、羽根を全部取り外して、調査した上で今後の対応を決めるということです。