地震から1日も休まず... “復興スーパー”支える家族 見えぬ先行き…進学を諦めた孫【NNNドキュメント】
「町野から離れた住人に戻って欲しい」。客足も遠のくなか、店を守り続ける一家の思いがありました。
スーパーの3代目・本谷一知さんの二男・悠樹さんは、震災がなければ、春から大学に進学する予定でした。しかし、スーパーの先行きが見えない中、経済的な負担を考え、大学への進学を諦めました。
高校の卒業式の日、悠樹さんは「よく頑張ったな、お前な」「厳しかったけどな。よく耐えたよ」と、何度も声をかけられていました。
町に暗い影を落とした能登半島地震。それでも、町に一軒しかない“家族で営むスーパー”は、元日から店を開け続けました。電気がこなくても、 店を訪ねてくれる人がいる限り──。
「もとやスーパー」の2代目・本谷一郎さん(75)が「みんなの役に立てれば、もうそれが幸せ」と話せば、妻の理知子さん(73)も「やっぱり町野の人の役に立ちたい。一緒に生きていきたい」といいます。
本谷さん夫妻は、2000人ほどが暮らす町野町で唯一のスーパーを、長年切り盛りしてきました。
ただ、1月1日午後4時10分。あの地震で、すべてが変わってしまいました。町には、あの日から時間が止まってしまったかのような光景が広がっています。
そんな中、夫妻は店先にストーブを置いて、買い物客を迎えていました。
本谷理知子さん
「顔が見られるから、お客さんが安心して入ってくる」
「ここでワイワイやってる方が立ち寄りやすいと思います」
「酒ってある?」と、町の水道業者の男性が店を訪ねてきました。
「仕事して、電気もつかんから飲むくらいしか楽しみがない。メシ食って」と男性が話すと、「そうやね。だいぶ忙しいやろ」と、理知子さんは、会計をしながら応じます。
水道業者の男性
「直したと思ったら、また圧が強くなって他のところで噴いてきて…。その繰り返し」
1日に200~300人訪れていたお客さんは震災のあと激減し、いまでは1日数人に。10人の従業員も全員休職しました。
スーパーの3代目・本谷一知さん(46)は、震災後、妻と2人の子どもたちを大阪の妻の実家に避難させ、自身は店の立て直しに奔走してきました。
生ものを入れて保管していた冷蔵庫の中には、年末の予約で残ったアイスが入っていましたが、電気が止まったことで、あったものはすべて傷んでしまいました。
3代目の本谷一知さん
「(アイスは)全部溶けてると思う。全部廃棄。評判良かったんですけどね」
「総額で言うと(全部で)1000 万円以上の在庫は眠っていたんですよ」
地震から1か月半が過ぎても厳しい状況は続いていました。ただ、そのなかでも店は開け続けました。
2代目の本谷一郎さん
「今までこうやって育ててもらって、店舗も持ってこられたのは、親父たちの頃から、ずっとこの周りの人に育てられたから」
「だから自分がこうやって育ったのも、この周りの人たちのおかげだと思っている。その恩義はもう忘れない」
一郎さんの父・本谷庄治さんが行商から始めた「もとや庄治商店」。食品のほか、カラーテレビなど最新家電をそろえたお店には、多くの人が詰めかけました。
2代目の本谷一郎さん
「楽しい人生だね。こんな人生あるんだね」
「この地震が教えてくれたのは、やっぱり人の輪と家族の輪だね。それは感じる」
3代目・本谷一知さんの二男・悠樹さんは、校舎が被災し、母校で門出の日を迎えられませんでした。野球部で白球を追いかけた3年間。春からは、岐阜県の大学に進学する予定でしたが、経済的な負担を考え、大学への進学を諦めました。
悠樹さんには最近、新たな夢ができました。
本谷悠樹さん
「消防士の勉強する間、(避難先の)大阪を出ようかなと思って」
本谷理知子さん
「がんばれ。社会に出てからが一番大事」
2代目・本谷一郎さん
「お前、なるべく早く帰って来いや」
復興までの長い道のり。地域に必要とされる限り、町に一軒しかないスーパーをこれからも開け続けたい。それが、家族の願いです。
【編集後記】深夜バイトで生活費を工面し 追いかける消防士の夢
日々、震災関連のニュースを放送していた中、希望のある作品を制作したいと思ったのが、取材を始めたきっかけです。厳しい状況ながらも地元を大切に思い、ユーモアあふれる一郎さんの姿に、私自身も元気をもらう機会が多くありました。
大学進学を諦めた一郎さんの二男・悠樹さんは5月、岐阜県内の牛丼チェーンの深夜アルバイトで生活費を工面し、消防士を目指しています。
再建に向けて、少しずつ前に進む本谷さん一家を、今後も見つめ続けたいと思っています。
(テレビ金沢・住田鉄平ディレクター)