「死ぬときくらいは本名で…」桐島聡容疑者か、警視庁が接触 連続企業爆破事件で“半世紀逃走”
連続企業爆破事件で重要指名手配されている桐島聡容疑者。50年近く逃走を続けていますが、警視庁が、この男を名乗る人物と接触し、男が「死ぬときくらいは本名で死にたい」などと話していることがわかりました。
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街中に貼られた指名手配犯のポスター。街の人は…
「あのメガネの人ですか? めっちゃ(見たこと)あります」
「ちゃんと意味があるんだね」
「意味があるんだなってきょう思いました」
黒縁めがねをかけ、笑みをうかべる長髪の男。重要指名手配されている桐島聡容疑者です。約50年の歳月がすぎ、70歳となったいま…。突如、“桐島を名乗る男”が現れました。
記者
「桐島聡容疑者を名乗る男が、こちらの病院に入院しているということです」
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1974年8月30日。東京・丸の内の三菱重工ビル前で爆弾が爆発。8人が死亡、380人が重軽傷を負う事件が発生しました。当時、大手商社などが次々に標的となった「連続企業爆破事件」。引き起こしたのは、過激派「東アジア反日武装戦線」です。
そのメンバーである桐島容疑者。1975年、警視庁に爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されてから、50年近くにわたり逃走を続けていましたが、25日、神奈川県内の病院から神奈川県警に、“桐島容疑者を名乗る男がいる”と通報がありました。
捜査関係者によると、関係者に次のように話したといいます。
「死ぬときくらいは本名で死にたい」
「桐島」という名前ではなく、別の名前で入院していたという男。1年ほど前に末期の胃がんと診断を受け、今月に入って入院したということです。
桐島容疑者の指紋やDNAは残っておらず、本人確認には時間がかかるとみられ、警視庁は慎重に調べています。
(『news zero』より)