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原爆「焼き場に立つ少年」撮影者の妻の思い

2019年8月9日 20:03
原爆「焼き場に立つ少年」撮影者の妻の思い

長崎は9日、原爆が投下されてから74年となる「原爆の日」を迎えた。そんな中、長崎で原爆投下直後に撮影された少年の写真が世界的に注目されている。撮影者の妻が写真にこめられた思いを語った。

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長崎原爆資料館で今、ひと際注目されているという1枚の写真「焼き場に立つ少年」。息を引き取った幼い弟を背負い荼毘に付すため、少年は順番を待っている。

今年11月24日、長崎訪問を予定するローマ・カトリック教会のフランシスコ法王。去年1月、「焼き場に立つ少年」をポストカードにして、世界に配布するよう信者に指示した。「戦争がもたらしたもの――」というメッセージを添えて。

写真を撮影したのは、アメリカ軍のカメラマン故ジョー・オダネル氏。オダネル氏の妻・坂井貴美子さん(58)。現在、アメリカ・テネシー州に住んでいる

坂井さん「ありがたいの一言。(ローマ法王が)そういうふうに思って、みんなに見てもらいたいということで行動を起こされたということが」

オダネル氏が被爆後の広島、長崎などで撮影した写真はおよそ300枚にのぼる。

坂井さん「人間の原点をついた彼は、すばらしい写真家だったと思う。人間の根本的なものを見抜く力のある写真家だった」

ただ、母国がもたらした悲劇を公開することをためらい、40年ほどフィルムは現像せず、トランクにしまったままにしていたそうだ。しかし1989年――。

坂井さん「自分が伝えなければ伝えていく人がいないという危機感はあったと思う。写真家はいたが、そういう写真を撮っても、全部政府の方に回っていく。自分の手元にあるというのはほとんど例がない。自分は持っていると、持っているものをなんとか活用しなければ意味がないんじゃないか、そういう思いだったと思う」

そのうちの1枚が「焼き場に立つ少年」だった。坂井さんは2007年にオダネル氏が亡くなった後もその遺志を継ぎ、写真展を開催している。

少年がその後、どこに向かったのか?そして、誰なのか?被爆から74年がたった今も詳しいことはわかっておらず、専門家や被爆者らが調査を続けている。


坂井さん「写真を撮った時に、本当は撮った後に駆け寄っていって抱きしめてあげたかったんだけれども、崩れ落ちそうな気がしたので、何もできないでいたんだというようなことを言っていた。その少年もずっと赤ちゃんをその火の上において、焼け上がるまでずっと同じ姿勢でいて、終わった後はもう何も言わずにそのまま去って行ったと言っていた」

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被爆者の八木道子さん(80)。県の内外で、小中学生を対象に被爆体験講話を行う際、この写真を使用している。

八木さん「この写真を見て1番最初にぱっと目についたのが指先。この手の指先を見たときに本当に涙がでた。しかも裸足。これ見たときは涙がでた」

小中学生には写真の効果で、より被爆体験が伝わりやすいと考えている。

八木さん「いまでも誰かわからないけど、この子がいたことは確実。私は名前を残されずに死んでいった子どもたちの思い、絶対生きたかったと思う。どんなことがあっても。だから命を大切にしたい。でもその命を奪ったのは戦争。だから戦争だけはどんな理由があってもダメという気持ち」

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被爆者だけではなく、長崎市の教育委員会も昨年度から小中学校向けの教材で活用している。

長崎市教育委員会・川本哲也係長「自分と同じ年代の少年が立っている姿。背中に背負っている、その幼子の姿。これを見ていろいろな想像をしてもらう。子どもたちに被爆者の悲しみを受け止めてもらうことを願っている」

坂井さん「過去にあったことを学んでいただくというのが一番大事なことだと思う。忘れてしまったら、また同じことをくり返す危険性がある。それを見て考えるのは1人1人だと思う。そこからどうするかも見た人の判断で決めていくこと。

ローマ法王の来日で注目される「焼き場に立つ少年」。戦争の悲劇と平和の大切さを訴える未来へのメッセージとなっている。

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