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【速報】桐島聡容疑者を名乗り死亡した男を本人と特定し5つの事件で書類送検 「連続企業爆破事件」で重要指名手配から49年 警視庁公安部

2024年2月27日 13:04
【速報】桐島聡容疑者を名乗り死亡した男を本人と特定し5つの事件で書類送検 「連続企業爆破事件」で重要指名手配から49年 警視庁公安部

1970年代の連続企業爆破事件で指名手配されている桐島聡容疑者を名乗り、先月29日に死亡した男について、警視庁公安部が桐島容疑者本人と特定し、27日午後、5つの爆破事件で容疑者死亡のまま書類送検しました。

警視庁によりますと、神奈川県鎌倉市の病院に末期がんで入院し、先月25日に桐島聡容疑者と名乗り、先月29日に死亡した男について、警視庁公安部はDNA鑑定や裏付け捜査を行った結果、桐島聡容疑者、本人と特定しました。

また、1970年代に起きた一連の連続企業爆破事件のうち、1975年に起きた5つの事件について、容疑者死亡のまま書類送検しました。桐島容疑者は逮捕状が出ていた「韓国産業経済研究所」爆破事件、大手ゼネコン間組の本社ビルの2か所、大宮工場については爆発物取締罰則違反の疑い、江戸川作業所では殺人未遂や爆発物取締罰則違反の疑いが持たれています。

桐島容疑者は先月中旬、「内田洋」の名前で入院し、「死ぬときくらいは本名で死にたかった」と話していたということですが、桐島容疑者の指紋やDNAは残っておらず、警視庁公安部が親族のDNA型と照合するなどして確認を進めていたほか、今月2日には自宅を家宅捜索を行うなどして、裏付け捜査を進めていました。

桐島容疑者は過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、1970年代に起きた「連続企業爆破事件」に関与したとして1975年に爆発物取締罰則違反の疑いで指名手配され、50年近く逃亡していました。

桐島容疑者は「内田洋」という名前で、数十年前から神奈川県内の工務店で、住み込みで働いていたということです。

桐島容疑者は公安部の任意の調べに対し、韓国産業経済研究所爆破事件について関与を否定する一方、間組の一連の事件に関しては関与を認める説明をしていたということです。