家族4人失った配達員 折れる心を野馬追で
あの日、家族4人全員を津波で亡くした、郵便配達員の1年5か月。
長八さん「死ぬ瞬間みたいなのを想像しちゃうんだよね。泳いで…いるような姿とか、息引き取るような瞬間的なこと、想像するっていうのかな」
菅野長八さん、妻、息子、娘、母と囲む食卓はいつもにぎやかでした。いまの食事は、ただ生きながらえるためのもの…。この地の祭り、相馬野馬追に出陣し地区の侍大将を務める長八さんを、家族は誇りに思っていました。自分も死んだ方がましだった…。折れそうな心をつなぎとめてくれたのが野馬追でした。
震災から4か月。この年は地区の侍大将を辞退し、いち騎馬武者としての参加。高校を卒業してからずっと、地元の郵便局に勤めています。配達一筋42年。忙しく走り回っているときだけ、一人の寂しさを忘れることができました。
60歳になった長八さんは、次の3月に定年を控えています。
スーパーにいた女性「板金屋の…」
長八さん「あっ、亡くなった」
スーパーにいた女性「なにぃ?津波で?」
長八さん「うん、津波で」
あの日のことを話すと、しまい込んだ悲しみがあふれます。
退職の日…。
長八さん「いろいろ本当お世話になりました」
同僚の女性「元気でね。遊びにきてね」
同僚の男性「大丈夫ですから。何かあったらすぐ」
長八さん「本当、丹治くん、俺…ありがとう」
“退職したら野菜でも作って暮らそう”。妻と話していました。第二の人生は、仮設住宅でひとりぼっちです。祭りの季節。長八さんは、地区の侍大将を再び、引き受けました。
騎馬武者「菅野侍大将殿をお迎えに参りました」
長八さん「下馬して式典の準備に入れ!」
騎馬武者「承知」
津波に流された甲冑(かっちゅう)や兜(かぶと)は退職金をはたいて新しく買いそろえました。仮設住宅からの出陣。家族も誇らしげに見届けてくれている。長八さんはそう信じています。
相馬野馬追はこの地を守る神様の御旗をとろうと男たちが競い合います。ふるさとの平穏を願う、千年続く伝統行事です。祭りのあと、日々の暮らしがやってきます。
長八さん「変わってないですよ、やっぱり。ただ、嘆いてばかりもいられないっていう気持ちも、もちろんあるから対応しようとはしてますけどね」
仮設での暮らしももうすぐ1年。料理の腕は少し上がりました。
※2012年8月、福島中央テレビで制作したものをリメイク
【the SOCIAL×NNNドキュメントより】