「老舗の和菓子店」“日本最古”のバッティングセンターも…惜しまれつつ閉店 最後の1日を取材
高齢化などを理由に歴史に幕を下ろす店の最後の1日を取材しました。埼玉・川越市にある和菓子店には「自慢の味」を求めて、開店の1時間前から常連客が並んでいました。東京・豊島区のバッティングセンターでは、新潟から訪れた客が「泣きながら打ちそうだ」と最後の打席に立ちました。
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30日午後5時、埼玉・川越市にある和菓子店「味の店いせや」が、88年の歴史に幕を下ろしました。その最後の1日を取材しました。
30日午前8時半ごろ、1935年から店をかまえる和菓子店「味の店いせや」には、開店の1時間前にもかかわらず、常連さんが足を運んでいました。「私買いに来たんだけど、きのう買えなかったの」「そうなんです、私も」といった会話が聞こえてきました。
「味の店いせや」は、店主の高齢化などを理由に、30日で店を閉めることに決めました。
店主がこだわるのは、「手作りの味」です。
味の店いせや 藤井修二代目店主(82)
「なんでも手で作る。手が終わったら、終わっちゃうんだよ」
夫婦と従業員の手で丁寧に作り上げた「味」で愛されてきました。
川越市民
「私は豆大福が一番よかったかな」
――これでこの味も
川越市民
「食べ納めになっちゃうから…」
愛されてきた理由は、もう1つありました。
味の店いせや 藤井ナツ江さん(77)
「お団子食べる?」
――いいんですか?
味の店いせや 藤井ナツ江さん
「匂いだけじゃ、かわいそうだもん」
――ありがとうございます…
味の店いせや 藤井ナツ江さん
「すっごく、おいしいでしょ?」
その優しい「人柄」と自慢の「味」で根付いた“地元の名店”でした。
味の店いせや 藤井修二代目店主
「ありがたいと思っている。(お客さんが)たくさん来てくれてね、本当によかったです」
味の店いせや 藤井ナツ江さん
「しようがないからやっていたんだよ、主人が好きだから」
多くの人が感謝の言葉を口にする中、静かに最後の1日を終えました。
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東京・豊島区にある「大塚バッティングセンター」は1965年に創業し、“日本最古”のバッティングセンターとも言われています。ここも30日、閉店の時を迎えます。
小さいころから来ていたお客さん(30代)
「なくなってほしくないのが正直な気持ち。最後なので悔いのないように」
新潟からのお客さん(50代)
「今、新潟に住んでいるんだけど、わざわざ来た」
幼少期を店の近所で過ごし、通いつめていたこの場所。
新潟からのお客さん(50代)
「泣きながら打ちそうだ」
最後の打席へ。
新潟からのお客さん(50代)
「大塚バッティングセンターありがとうございます」
――ここはどんな存在?
新潟からのお客さん(50代)
「青春の…1ページかな」
このバッティングセンターは、80キロ台から130キロ台まで球の速さを選べます。子どもが大きくなるにつれて速い球が打てるようになる、そんな成長を確認できる場所でもありました。
小学校6年生の野球少年にも話を聞きました。
小学校6年生
「最後にヒット1本あてたい」
3年生のころから4年間、毎日のように来ていたと言います。
お父さん
「最初は速いボールだと怖がっていたけど、今は120キロを平気で打つようになって、来月、全国大会に出るので、それまでは(お店が)あってほしかったけど」
閉店の理由の1つは後継者不足。30日午後10時に最後の時を迎えます。