「伝承者」への道は、諦めない 高齢化する広島の被爆者、死で研修打ち切りも…若者の“伝える覚悟”
広島で、高齢化する被爆者に代わりその体験を語り継ぐ「被爆体験伝承者」。しかし、被爆から77年余りがたち、年間9000人前後が亡くなる今、研修途中に被爆者が死亡し、「伝承者」になれないケースが相次いでいます。そんな若者の思いを取材しました。
■医学部生が目指す「伝承者」 原爆孤児だった被爆者が証言する凄まじい生活
「お願いします」
広島大学医学部に在籍する井上つぐみさんは、23歳。4年生になり、各診療科を実習で回る日々です。
井上つぐみさん
「中央がくぼんでないような赤血球がある…」
講師
「これを見ただけで何の患者さんかわかる。これはやけどの患者さんです」
井上さんは、医師の他にもうひとつの志があります。それが「被爆体験伝承者」です。
高校生の時、平和大使を務めた井上さん。スイスの国連本部で開かれた軍縮会議では、代表として核兵器廃絶を訴えました。そして、さらに強まった使命感。大学生になって程なく参加した「伝承者」の研修で出会ったのが、被爆者の川本省三さんです。
川本省三さん
「ここにあるのがあのとき一番被害がひどかった人」
学童疎開していた三次から戻ったのは、原爆投下の3日後。それは11歳での、いわゆる「入市被爆」でした。そして家族6人を失い「原爆孤児」になります。証言では、その凄まじい生活を伝えてきました。
■研修半ばで被爆者の川本さんが息を引き取り…
その体験を語り継ぐ「伝承者」を目指して受けた2年間の研修で、川本さんから直接聞き取ったことをまとめた原稿を仕上げようとしていた矢先でした。体調を崩して入院していた川本さんが、去年6月8日、息を引き取ったのです。88歳でした。
井上つぐみさん
「メールのタイトルに川本さんの訃報についてとあって、信じられない。受け止めがたい、ショックだった」
広島市の養成事業は、伝承者に、書き上げた原稿を被爆者本人に確認してもらうことを求めています。しかし、その前に亡くなると、研修は打ち切りに。これまで114人が研修中止に追い込まれています。
井上さんの原稿を読まぬまま逝った川本さん。その伝承者になる夢は叶いませんでした。
井上つぐみさん
「2年間、川本さんと一緒に過ごしてきて、『伝承は託したよ』という言葉もいただいていて、そういった川本さんの思いを実現させることができなかったというところが一番悔しかった」
■78年前の疎開先で“追体験”した、子どもたちの空腹と寂しさと不安
井上さんはこの日、1人の女性と共に、三次市にある神杉駅を訪れていました。
細川文子さん
「川本さんが1945年の4月15日、疎開するのに降りた駅と聞いてる。きょうは井上さんにぜひ追体験を」
細川さんは、川本さんの体験を語り継ぐ「伝承者」です。研修が打ち切られた井上さんのことを心配して、ここを案内していました。
広島市から集団疎開した川本さんは、この神杉小学校に通っていました。
井上つぐみさん
「8時15分にどうだったかっていうのは、あまり知らなくて」
細川文子さん
「キノコ雲は見えたそう。キノコ雲を見て本当に不安な一日だったと言われてた」
そして向かったのは、川本さんが身を寄せていた善徳寺です。疎開してきた児童およそ60人が寝泊まりしていたといいます。
住職・長谷川憲章さん
「一食あたり一合、食べられるか食べられないか。(地元の子どもたちの)弁当がうらやましくてしょうがなかったと川本さんは言っていた」
子どもたちは、空腹と、家族と引き離された寂しさや不安に苛(さいな)まれていました。
そして、78年前の疎開先を見終えた井上さんに、細川さんが託したのは、長年集めてきた川本さんについての資料です。
細川文子さん
「きっと寄り添ってくれる、このファイルをいかしてもらえると信じて期待している」
井上つぐみさん
「涙が出そう…」
広島市が認める川本さんの「伝承者」にはなれない現実。しかし、個人で学び伝えることは可能だと悟った瞬間です。
■“新たな被爆者”の悲しみ…「伝承者」への道は、諦めない
今年も始まった伝承者の研修。11期生となります。そこに、井上さんの姿がありました。新たに84歳の被爆者、内藤慎吾さんの元で、伝承者を目指すためです。
内藤さんが爆心地にほど近い自宅で被爆したのは、6歳の時。両親や兄弟を次々となくしました。その悲しみは、ひとり残された川本さんと重なります。
内藤慎吾さん
「くたばらないうちに、なんとか伝えときたい」
井上つぐみさん
「今お体の調子はいかがですか。通院されたりとかはありますか」
内藤慎吾さん
「一応、定期検診には行っている」「医学部? じゃあお世話になる」
「伝承者」への道は、諦めない。原稿の完成を目指して新たな歩みが始まりました。
■被爆者には容赦ない老いが…2人の被爆者の人生を伝えていく覚悟
今月、川本さんの伝承者らがかつての疎開先の寺に集まっていました。井上さんは、「川本さん」と「内藤さん」という2人の被爆者の人生を伝えていく覚悟です。
井上つぐみさん
「(被爆者の)人生の重み、言葉の一言一言の重みを無駄にしたくない。生半可な気持ち・言葉で伝えたくない」
全国の被爆者は、去年3月時点で初めて12万人を下回り、平均年齢も84歳を超え、その老いに容赦はありません。被爆者の足跡を自らたどる井上さんの取り組みは、新たな「伝承」の形を示しているのかもしれません。