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【皇室コラム】両陛下の励まし届いた被災の“人間国宝” 「技術を持った人がいれば輪島塗は残る」

2024年5月5日 19:37
【皇室コラム】両陛下の励まし届いた被災の“人間国宝” 「技術を持った人がいれば輪島塗は残る」

天皇皇后両陛下が能登半島の被災地を初めて見舞われた3月22日夜、金沢市内に輪島塗の“人間国宝” を訪ねました。

重要無形文化財保持者の前史雄(まえ・ふみお)さん(83)。2月23日の天皇誕生日に公表された両陛下の映像に映る輪島塗の作者です。輪島を離れ、金沢市内の二女宅に身を寄せていました。

「励ましの気持ちで置かれたとわかります。驚き、感動し、うれしかったです」

前さんの作品は、2018(平成30)年8月、陛下が皇太子時代に石川県を訪問された際に知事から贈られました。しかし前さんには伝えられず、新聞の写真で陛下の元にあることを知ったそうです。

「沈金飾盆(ちんきんかざりぼん)」。輪島塗の表面を細いノミで彫り、金箔や金粉を擦り込んで模様を浮かび上がらせるのが沈金です。竹林が風に揺れ、雀がパッと飛んでいる図柄は、竹林が清浄な風を起こすという「禅」の世界を独自の手法で表現しています。

自宅兼工房は「輪島朝市」の一角にありました。元日の地震で半壊し、津波の警報を聞いて避難場所へ急ぎました。隣家が倒壊して近道をふさぎ、海沿いの道を行くしかありませんでした。日が暮れて火が広がります。避難所の窓のカーテンを開けてはその火を一晩中見ていました。

細かい模様を彫るために自分で考案した多くのノミ、表面に擦り込む金粉やプラチナ粉、描きためてきた鳥や花などの図案、大事にしていた作品――何もかもが焼けてしまいました。

夜が明けて朝市のあたりまで行くと、一帯は黒く焼け、煙がまだ上がっていました。「もうだめやな。終わりやな」。その先にある自宅兼工房を確かめようという気持ちは起きません。諦めしかありませんでした。

そこには先代の父、故・大峰(たいほう)さんの作品もありました。1975(昭和50)年8月、学習院高等科1年生だった陛下が地理研究会の視察旅行で石川県を初めて訪れた時に、輪島漆器会館で輪島塗についてご説明したのが大峰さんです。

当時の北国新聞が詳しく様子を伝えています。「能登路―行く先々で歓迎ぜめ 浩宮さま 輪島塗にもご関心」。大峰さんが沈金のすずり箱などの秀作をお見せし、陛下は「この小さな点々はどういう風につけるんですか」と熱心に質問して耳を傾けられました。

今年の誕生日会見。陛下は「能登地域は、雅子も私も、それぞれ学生時代に訪れて、思い出深く思ってきた地域」と話されました。映像の撮影時、陛下は皇后さまに「輪島塗には多くの工程があり、多くの人が関わっている」と話されていたそうです。きっと大峰さんの姿も重なったでしょう。

前さんは両陛下のお見舞いをテレビで見つめていたそうです。「輪島で訪ねられた避難所は私が最初に身を寄せた場所でした。何か気持ちが和らいで、励まされました」

ふと前さんは手に入れたばかりの細いノミを研ぎ始めました。

「両陛下の映像は本当にありがたく、頑張らなければいけないと思いました。技術を持った人がいれば輪島塗は残ります。今は避難して仮の所ですが、これから展覧会もありますので、続けてやろうと思います」

静かな語り口がにわかに熱を帯びています。自分に言い聞かせているように聞こえました。

即位から5年。コロナ禍で制約が多いなか、両陛下はオンラインという新しいやり方で交流されてきました。誕生日の映像に映し込まれた輪島塗と珠洲焼は、なかなか被災地に入れない状況での気配りだったでしょう。それをしっかりと受け止める前さんを取材して、お二人がそっと発した励ましの力を確かに見た思いです。

(日本テレビ客員解説員 井上茂男)

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