愛子さまの笑顔と成長【皇室コラム】
12月1日に19歳の誕生日を迎えられる愛子さま。2006(平成18)年8月、静養先のオランダで見せた満面の笑みのわけと、高松宮妃喜久子さまがエッセーで投げかけた課題を考えます。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男)
【コラム】「皇室その時そこにエピソードが」第2回「愛子さまの笑顔と成長」(上)
■うれしかった学習院での取材対応
学習院大学文学部に入学した愛子さまが、10月24日、新型コロナウイルスの影響で初めてキャンパスに登校し、大学生になった喜びについて話されました。成長した様子をニュースで見ながら、コロナ禍にある人たちを「皆さまが」という言葉で気遣い、記者たちに「ありがとうございました」と何度もお辞儀をされる姿にうれしくなりました。笑顔を絶やさず、丁寧にお辞儀をされていたからです。
と言うのも、宮内庁担当として見ていた幼少期の愛子さまは、取材の設定がある場では笑顔が少なく、お辞儀をされない印象があったからです。スクラップブックを見返すと、1~3歳の頃は幼児らしい自然な表情ですが、4歳の頃から笑顔が減り、カメラを見つめるような視線に気付きます。ちょうど皇后雅子さまが「適応障害」で苦しまれていたころです。勝手な見方ですが、メディアのカメラに身を硬くするママの緊張が、つながれた手を通して伝わっていたように思われます。
■オランダでの笑顔のわけ
子どもらしい自然な笑顔に触れたのは2006(平成18)年8月18日。雅子さまの「適応障害」の治療を兼ねたオランダ静養の時でした。ベアトリクス女王一家に囲まれ、ご一家3人が心から笑われている様子はテレビや新聞で大きく報じられました。秋篠宮妃の紀子さまが悠仁さまの出産にそなえて入院された頃です。
取材の日はあいにくの雨。庭園での取材が急きょ屋根のある王室の馬車庫に変わりました。主役は、カメラ目線をとらえようとカメラマンから「アマリア」「アマリア」と声をかけられ、腕をぐるぐる回してご機嫌のアマリア王女でした。今のウィレム・アレクサンダー国王の長女。次の女王です。日本では取材の際の声かけはNGですが、海外にそんなルールはありません。オランダのカメラマンたちは、遠慮なく愛子さまにも「アイコ」「アイコ」と声をかけました。見慣れない外国人カメラマンから、日本では耳にしたことがない呼び捨てにされ、それが聞き慣れないイントネーションで、間断ないシャッター音も加わって、愛子さまは怖がられているように見えました。
■「あいちゃーん」3度の声かけでこぼれた笑顔
取材の機会は一度だけ。何とかしたいと、自分も日本では“禁じ手”の声かけを試みました。「あいちゃーん」。愛子さまは耳慣れた日本語にピクっと反応し、声の主を探すようにほんの少し手が動かされました。もう一度。すると今度は、ほおが緩んだように見えました。他社の記者が呼応して3回目の声をかけます。愛子さまは跳ねるように左足を上げ、満面の笑みを浮かべられました。雅子さまもカメラの放列の前で静かに微笑まれ、その場の全員に柔らかな笑顔が広がったのです。
笑顔は約8分の取材時間のうち1分にも満たなかったと思います。それでもカメラはご一家の最高の笑顔をとらえていました。取材が終わって侍従から「声をかけてくれてありがとうございました。ご成長を振り返る時にベスト10に入る写真になりますね」と感謝され、加勢してくれた記者と喜んだものでした。
当時はお辞儀も苦手のように見受けられました。「ちゃんとご挨拶するよう今のうちにちゃんとしつけていただかないと」。宮内庁の中にそんな声もありました。しかし、お二人は叱らず、自主性を重んじる育て方を貫かれました。2010(平成22)年3月、愛子さまが学校生活への不安を訴えて学校を休むようになった時も、様々な意見がある中、療養中の雅子さまが学校に付き添われました。側近には女子校への転校という案もありましたが、天皇陛下が慎重なお考えだったと聞きました。「問題を乗り越えて愛子さまはとっても強くなられました」。側近の述懐を思い出します。それは雅子さまの活動が少しずつ広がっていった時期と重なります。親子で乗り越え、共に強くなられたのでしょう。それからご一家の笑顔に接する機会が増えていったように思います。(続く)
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。
(冒頭の動画は「学習院大学入学後、初めて登校された愛子さま」10月24日・学習院目白キャンパス)