愛子さまの成長記録
一つの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。今日の瞬間は、「愛子さまの笑顔」です。
――こちらの写真はどんな瞬間なんでしょうか?
こちらは2006年8月に天皇ご一家が、オランダで静養された時のご様子です。私はこの場で、取材をしていましたが、4歳の愛子さまが、当時としてはとても珍しい笑顔を見せられたんです。この笑顔を引き出すのに、私も一役買っておりまして、大変思い出深い1枚なんです。
――愛犬の由莉と一緒に散歩されるご様子、井上さんはどう感じられましたか?
穏やかでやわらかな笑顔がとてもすてきですよね。すっかり成長されたんだなと思いました。といいますのは、幼少期の愛子さまは、取材の設定がある場では笑顔が少なく、お辞儀もあまりされない印象だったんですね。それでも3歳くらいまでは、幼児らしい自然な表情で、手をふったりもされていました。
それが、4歳頃から笑顔が減り、カメラをじっと見つめたり、おびえたりするような様子も見せられるようになったんです。皇后さまが、療養生活が続き「適応障害」で苦しまれていたころですね。メディアのカメラに身を硬くするママの緊張が、つないだ手を通して伝わっていたのではと感じておりました。
――そういった時期にオランダでの取材があったんですね?
そうなんです。オランダご静養は、皇后さまの「適応障害」の治療を兼ねたものでした。当時のベアトリックス女王一家と馬車庫で取材に応じられました。当初、庭園でという話でしたが雨でして、屋根のある場所に変わりました。そのときの主役は、孫のアマリア王女でした。オランダ人のカメラマンから「アマリア」「アマリア」と声をかけられるとご機嫌で腕を振っていたんですね。愛子さまは、カメラマンから「愛子」と呼び捨てにされ呼ばれていて、おびえた印象でした。
――愛子さまから、どのように笑顔を引き出されたんですか?
東京からオランダに飛んだ宮内庁の記者は3人しかいませんでした。紀子さまのご出産が迫っていて緊張していた時期で、オランダに行ったのだからなんとか場を和ませたいという風に思って「あいちゃーん」と声をかけたしだいです。
――日本語で「あいちゃーん」と呼びかけられた後、愛子さまが急に笑顔になって手を振られていますね。この声が井上さんですか?
はい、そうなんです。
――そうして撮影出来たのが先ほどの写真ですね?
はい。カメラはいい表情の一瞬をとらえていましたね。
――「愛子さま」ではなく「あいちゃーん」と呼びかけたのはなぜですか?
天皇陛下が「愛子さま」ではなく「あいちゃん」と呼ばれているのは知っていましたので、とっさに口をついたのだと思います。
――呼びかけ自体は良かったんですか?
日本では「お声がけは自粛を」と言われていて、なかなか日本の現場でこのような場面に触れることは無いと思います。けれども、この場をなんとかしたいなという風に思いまして、「あいちゃーん」と声をかけたところです。
――“禁じ手”の反応はどうだったんですか?
取材が終わって侍従から「声をかけてくれてありがとうございました。ご成長を振り返る時にベスト10に入る写真になりますね」と感謝され、うれしかったのを、今も鮮明に覚えています。
――愛子さまというと、小学校の一時期、心配されたこともありましたね?
はい。小学2年生の終わり頃から学校生活に不安を訴えられ、休みがちになった時期がありました。皇后さまが学校に付き添われましたが、これに対して様々な意見もありましたし、当時、側近は女子校への転校という選択肢も視野にいれていたんです。これには天皇陛下が慎重なお考えだったと聞いています。
ただそうした問題も、小学校卒業の頃には、解消されていきましたね。「問題を乗り越えて愛子さまはとっても強くなられました」と側近も述懐しています。
中学後半からは、公務にも一緒に出かけられるようになり、笑顔をどんどん見せられるようになります。それは皇后さまの活動が少しずつ広がっていった時期と重なるんですね。
――去年の夏も、井上さんは間近で愛子さまの取材をされたそうですね?
はい。那須塩原で取材しました。このときは、愛子さまは、とてもいい表情で、出迎えに来ていた高校生に「お互いにテスト頑張りましょう」と声をかけられたりと皇族らしく堂々とされるようになったなと感じました。
――その愛子さまもいよいよ来年で20歳になられるんですね?
はい。皇后雅子さまは誕生日のご感想で「幼かった頃のことも懐かしく思い出され感慨深いものがあります」と書かれていますが、私もそう思います。
成年式を迎えると、記者会見も行われます。また、成年皇族として地方へのお出かけというのが出てきて、お姿にふれる機会も増えてくると思います。本当に楽しみにしています。