元フジ笠井信輔さんコロナ禍のがん闘病語る
新型コロナウイルスの感染拡大で、がんの医療現場も大きな影響を受けました。その時期に“血液のがん”「悪性リンパ腫」と闘っていた元フジテレビアナウンサーの笠井信輔さん(57)。復帰までの道のりとは。
■56歳でフジテレビ退社 直後に判明した“がん”
「大みそかになりました。今年もあと一日です。来年は体重増やせるように 頑張りたいと思います」
おととしの年の瀬。笠井さんは病室で自らまわしたカメラに向かい、そう話しました。
56歳でフリーアナウンサーという新たな道を歩み始めた笠井信輔さん。
おととし9月にフジテレビを退社。しかし、その頃すでに腰の痛みなど、体の異変を感じていたといいます。
フリーになった直後、検査で判明したのが、“血液のがん”ともいわれる「悪性リンパ腫」です。
白血球の一種、リンパ球ががん化する「悪性リンパ腫」。
首や腋の下、足の付け根など、リンパ節の多いところにしこりとしてあらわれ、進行すると発熱や体重の減少などを伴います。
当時の心境について、笠井さんは著書の中でこう述べています。
「なんだかんだ言いながら、最終的には、『笠井さん良かったですね。がんじゃなかったですよ』。その答えを待ち望んでいました」
しかし、リンパ腫は他の臓器にも広がっていたといいます。「死ぬかもしれない」、そう考えた時も…。
フリーになってわずか3か月足らずで入院。ただ、体の痛みは耐えられないほどになっていたため、入院できてホッとしたといいます。
「体調は、おなか痛いくらいかな。倦怠感はあるけれどもね。なんとかなっています。」
しかし、本当の苦しみはここからでした。
■激しい抗がん剤の副作用 闘病中には新型コロナも…
抗がん剤の副作用で徐々に抜けていく髪の毛。さらに…。
「負けちゃいけないとわかっているんだけどね、抗がん剤にさ」
襲いかかる倦怠感。
「いま午前4時半で…眠れません。眠りたいんだけどね…眠れないんですよね…」
不眠にも悩まされました。
握力も低下。それでも復帰に向けて、懸命にリハビリに励む日々。
そして入院から4か月半、去年4月30日に無事退院することができました。
「気持ちいいですよ、もう最高です」
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出ていた時期。免疫力が低下していた笠井さんは、自宅でも感染対策を強く意識したといいます。
同じ家にいながら、結婚記念日はテレビ電話でお祝い。
「30年の間、お母さん本当にありがとうございました」
子供の誕生日も、リモートで祝福しました。
■自分はがんじゃないと思い込んでいた
「なんでいま、なんで私が、本当にそれしかありませんでした。働かないと給料がゼロになりますので」
フリーになった直後にがんを告げられた時の心境をこのように語った笠井さん。当初は“がん”という事実を受け入れられなかったといいます。
「日本人の2人に1人ががんになる時代なのに、自分はがんじゃないと思い込んでいる自分がいるんですよね」
一方で、がんを経験したからこそ伝えたいことがあるといいます。
「がんで亡くなっている方は多いですけれど、がんはそれ以上に乗り越えられる病気だということを信じてがんと向き合っていくことが大事なのではないかなと思います」
■取材後記
新型コロナウイルスの感染拡大前に入院し、感染拡大後に闘病生活をされた大変さは経験した人にしかわかりません。「明るい姿ばかりではうそになる。抗がん剤治療はそんなに甘いものじゃない」と話した笠井さん。自身の経験が誰かの役に立てばと思い発信したといいます。
一方で、笠井さんのように順調に退院できるケースばかりではないと思います。こうした中で、「情報番組ではマイクを向けてほしくない人にもマイクを向けた。自分のプライバシーはそっとしておいて、というのは違うと思った」、そう語る笠井さんからは、ニュースを伝えてきた者としての矜持のようなものを感じました。(news every.ディレクター 目黒 晃)