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一般家庭から十八世中村勘三郎の部屋子に

2021年2月19日 21:21
一般家庭から十八世中村勘三郎の部屋子に

5歳の時に歌舞伎座で初舞台を踏み、10歳で一般家庭から歌舞伎の世界へ入った、中村鶴松さん。十八世中村勘三郎さんからその才能を見出され、“第3の倅(せがれ)”と呼ばれるほど。

「中村屋にとってゆかりのある『連獅子』という演目に参加できるのが嬉しい」と話す鶴松さんは、兄と慕う六代目中村勘九郎さんに直接、公演出演のお願いをし、2月の舞台に臨んでいます。歌舞伎の世界に入ったきっかけや、お芝居に対する思いなどを伺いました。

【市來玲奈の歌舞伎・花笑み/第6回・中村鶴松さん】

■「いつか誰かが認めてくれる日がくるんだよと、心の糧になっています」

――昨年12月から久しぶりに舞台に立たれていますが、心境はいかかですか

「2020年は1月から(舞台に)出ていなかったので、11か月空いたんですよね。人生で一回もなくて。25歳の時期は大人の役、色々な役を勉強して力を蓄える時期で、凄く重要な一年間。そこがなくなったというのは、取り戻さなくてはいけないなという焦りがありますね」

――一般家庭から歌舞伎の世界へ。どのようなきっかけだったのでしょうか

「3歳で児童劇団に入っていて、色々なお芝居のオーディションを受けていて、その中でなぜか歌舞伎だけが好きになったんですよね。多分直感だと思います。5歳で初舞台だったんですけれど・・・全然覚えていないんですよね(笑)でも歌舞伎って異世界じゃないですか。一番、異世界な演劇なのかなと。不思議な空間にいる気持ちが心地よかったのかもしれないです。2000人の前に出て、拍手をもらえて、大向こうをかけてもらえて、それが気持ち良かったのかもしれないですね」

歌舞伎には、歌舞伎の家に生まれた人が受け継ぐという世襲制だけではなく、「部屋子(へやご)」という制度が存在します。部屋子は、小さいうちから歌舞伎俳優のもとで、身の回りの世話をしながら、行儀や作法などを学び、芸を磨く立場の俳優のこと。

――2005年、十八世中村勘三郎さんの部屋子に

「小学校3年生の時に『野田版 鼠小僧』という、野田秀樹さん演出の歌舞伎に出て、それもオーディションだったんですが、勘三郎さんが「大希(鶴松)が受かるといいね」という話をしてくださっていて。運良く受かって、その時に「うちの子になってくれたらいいね」と言ってくださったんです。人生の職業を決めるわけじゃないですか。そういう感じもなくて、ただただ好きなことをやっていて、今があるという感じなんですよね」

――“うちの子、第三の倅(せがれ)”と言われたことについては・・・

「嬉しいですよね。部屋子は弟子のような立場なんですが、そうじゃなく扱ってくれていたというか、今でも「次はあの役をやるんだよ」と言われていたことを覚えているので、生きていたら色々な役をやらせてくれていたのかなと思いますね」

――一般家庭から歌舞伎の世界に入ったことによる苦労はありますか

「舞台に立ったらゼロ。同じ土俵に立っているので、自分のできることをやるだけですね。でも勘三郎さんが「第3の倅(せがれ)だ」と言ってくれていたので、それは非常に心の支えになっていますし、言われた言葉で覚えているのが「お前は歌舞伎の家の出身ではないけれど、先祖は絶対、歌舞伎役者だったと思うよ」と。それを糧にしながら生きていますね。

それこそ『鼠小僧』という、僕が“中村鶴松”という名前をもらうきっかけとなった舞台でも、最後の死ぬ間際のセリフで「いつも誰か天の上から見てる。見てるんだよ。そう思わなくちゃ生きちゃいけない」というのがあって、それはしょっちゅう思い出しますね。いつか誰かが認めてくれる日がくるんだよと、心の糧になっていますね」


■「歴史的瞬間に立ち会えているような気持ち」

5歳で初舞台を踏み立役と女方、両方を勤め歌舞伎と過ごしてきた20年

――学業と舞台の両立はいかかでしたか

「僕は歌舞伎の家の生まれではないですし、早稲田(大学)は演劇に特化しているところだったので、歌舞伎だけではない色々な演劇が勉強できると思って。アンテナは常に張っていたいというか、色々なものを見て、吸収したいという人間なので、早稲田に入って勉強できて良かったです。いつかギリシャ悲劇とかを歌舞伎でやったら面白いだろうなと考えていますね。歌舞伎の授業もあったけれど、僕が全然知らないことばかりで、教授側の立場からみた歌舞伎の分析は凄く勉強になりましたね。大学で学んだことが歌舞伎に繋がればいいなと思います」

――趣味や新しく始めたことは

「旅行だったんだけれど、行けなくて・・・。最近はサウナかな。去年、「サウナ・スパ健康アドバイザー」という資格も取ったんです。自粛期間中、暇だったこともあるし、割引もあって・・・(笑)」

――今回の演目「十七世中村勘三郎三十三回忌追善狂言」について

「十七世中村勘三郎さんは会っていないんですよね。映像でしか拝見したことがないですが、本当に素晴らしい方だったんだなと。お弟子さんたちも言っているのですが、愛きょうのあるかわいらしい方だったんですよね。それだけ偉大な方の三十三回忌の舞台に立たせていただけるのは光栄です。演目も中村屋が守ってきた『連獅子』、勘九郎の兄が本興行で初の歌舞伎座での親獅子、勘太郎くんも初の仔獅子。そこに加われているのは、歴史的瞬間に立ち会えているような気持ちがありますね」

――どのような歌舞伎俳優を目指していますか

「“太陽”みたいな歌舞伎役者でいたいですね。常に輝き続けていたい。勘三郎さんもそういう人だったので。常に全力で、遊ぶ時も芝居する時も、常に100%で生きていた人間だったので、傍で見ていてかっこよかったですし、自分もそういう人間になりたいなと思います」

次回は中村壱太郎さんと尾上右近さんお二人にお話を伺います。

【中村鶴松(なかむら・つるまつ)】
2000年5月、『源氏物語』の竹麿で清水大希の名で初舞台。2005年5月、十八世中村勘三郎の部屋子となり、『菅原伝授手習鑑』車引の杉王丸で二代目中村鶴松を名乗る。

【市來玲奈の歌舞伎・花笑み】
「花笑み」は、花が咲く、蕾(つぼみ)がほころぶこと。また、花が咲いたような笑顔や微笑みを表す言葉です。歌舞伎の華やかな魅力にとりつかれた市來玲奈アナウンサーが、役者のインタビューや舞台裏の取材で迫るWEBオリジナル企画です。

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